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「工芸品買取 鹿児島寿蔵」
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工芸品買取 鹿児島寿蔵

鹿児島寿蔵 紫綬褒章 ・ 勲三等瑞宝章を受章した、創作的であり芸術的な作品を生み出し続けた作家が、鹿児島寿蔵です。博多人形作家として活躍し、和紙を使用した極限の美を追求し続けた、日本でも数少ない作家です。歌人としても知られており、そちらの方面においても、様々な作品を生み出します。 アララギ派の歌人でも合った事で、その筋の方々にも評価が高い事が特徴かもしれません。さて、1961年紙塑人形の人間国宝となっている鹿児島寿蔵。どのような人生を送ってきたのでしょうか。1898年に筑前秋月出身の治し元に福岡市上川端町に生まれています。福岡高等小学校卒業後には、既に人形作家として将来を志す事となり、博 多人形師有岡米次郎に師事をしています。 そこでは、基本から応用まで博多人形の基礎を学ぶこととなり、日々研鑽を続けて行く事となります。そして、19歳時には、早くも独立をしていきます。自らの独創的な陶芸人形作りを始めることとなります。さらに、岡田三郎助の本郷洋画研究所に入所し、デッサンを学び始めるのですが、学費がままならなくなり、結果的に福岡に戻ります。 しかし、そこで自身の感覚だけで作品作りを続け、個展を開きます。その一ヶ月後には状況をします。再度、本郷洋画研究所に入所して学びます。とにかく、丈夫でありながらも美しい人形を作る事に研究を重ねていった結果、「紙塑人形」を創案することに成功します。光沢といい質感、優美であり堅牢。 まさに、職人技という素晴らしい技法を続けていった事により、極限の美しさまで極められて行ったのです。短歌自体も愛していた事もあり、石碑には、荒縄を下げてゐさらひ露はなる 山笠人の瑞々しさよと彫刻されていることも特徴となります。非常に、少年らしさの残る人なつこい性格であったことからも、数多くの人達から好まれる人物だったそうです。 晩年、糟糠の妻が急逝した後、一人娘の人形作家鹿児島成恵と共に制作をしますが、結果的に急性肺炎でこの世を去ります。美しく、素晴らしい博多人形は、これからも高く評価が上がることでしょう。 鹿児島寿蔵の作品をお持ちの方は一度骨董買取に出してみてはいかがでしょうか。