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「木村忠太」
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木村忠太
日本よりもフランスで著名な、「知る人ぞ知る画家」である日本画・木村忠太。木村は本名を「木村忠一」といい、1917年、香川の高松で生まれました。1936年に上京して、東京で画家となった木村の才能は画壇の注目を集め、1948年、31歳で独立美術協会会員になります。しかし、日本で油絵制作を続けていくことに限界を感じ、1953年、志をもってフランスに渡ります。以来ほとんど帰国することなく、フランスの画家としてとして活躍しました。光の印象派から魂の印象派と目指して描き続けた木村は、戦後日本の抽象画家では、異色の存在なのです。黄色、緑、青といった優しい色合いを好んだ木村。それらの色は、彼の生まれ故郷である高松の瀬戸内海の風景を想起させるものでもあり、長年住んでいたパリや、南フランスの風景ともリンクする部分があったのでしょう。周囲から影響を受けず自分の道を貫いた木村は、ひたすら自然から感じ取った内的イメージをキャンバスの上で昇華させ、暖かい柔らかな世界観を抽象表現で描き出すことに成功しました。1970年、サロン・ドートンヌの会員となりましたが、日本での知名度はあまり高くありませんでした。日本の画廊の評価される前に、フランスの画廊で先に評価が高まった、珍しいタイプの画家であったと評することができるでしょう。1959年にはフランス芸術文化賞、1984年にはフランス政府より芸術文芸騎士勲章を贈られるなど、フランスで名声を手に入れました。自らを「モネの生まれ変わり」とよぶなど、光の印象派から魂の印象派を目指して描き続けた木村は、その後、アメリカへも進出しましたが、1987年2回目のニューヨーク個展の最中に亡くなってしまいます。現在、詩人ボードレールの墓の近くにある、パリ市内の墓地で眠る木村。彼の作品は、パリのポンピドー・センター、パリ市美術館、南フランスのツーロン美術館、アメリカのワシントン・フィリップス美術館など、海外の名だたる美術館に収蔵されています。