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「楽焼[初代]_長次郎」
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楽焼[初代]_長次郎
楽家の初代とされる長次郎ですが、存命中はその手になる焼き物は「楽焼」とは呼ばれず、「今焼茶碗」「ヤキ茶碗」と称されていたようです。しかし、長次郎は後代に伝わる楽焼の技法や基礎を作り出し、その名を不朽のものにしました。長次郎の父は「阿米也(あめや)」という名の明出身の陶人で、中国南部、現在の福建省周辺の出身と考えられています。若かりし頃の長次郎は、阿米也とともに装飾瓦の職人を務めていたと伝えられており、その技法には華南三彩などを含む「交趾焼」のものが見られます。父・阿米也の作品は残されていませんが、現存する長次郎最古の作は「二彩獅子像」です。天正2年の作品で、二種の釉薬を使っており、楽焼のルーツを物語るものとして評価されています。
長次郎と千利休が出会ったのは天正年間のことであったと考えられますが、その詳細は分かりません。秀吉に「天下一」と称された焼物師・田中宗慶を通じて出会ったとも言われるものの、田中宗慶自身、長次郎に劣らず謎の多い人物であり、この時代の楽家の流れには不明な点は依然多く残されています。とはいえ、天正年間に利休との作陶が始まり、明確なところでは天正14年、一説には天正4年の記録に、「今焼」の名で長次郎作の茶碗が現れています。楽焼の特長は、轆轤を使わない「手捏ね(てづくね)」で作られること、鉄釉を繰り返し使うことで出す独特の黒や赤などですが、その技法のほとんどが長次郎によって編み出されました。利休とともに侘び茶を追求したその作風は侘びそのものであり、質素のひとことに尽きます。その造詣は禅、ひいては老荘思想を組んだ理念的なものと評されますが、すうっ、と吸い込まれるその立ち姿は、感覚的には侘びの原型である「冷え枯るる」に近いとも言えるでしょう。現存する作品は決して多くはありませんが、利休が選んだといわれる「利休七種」(黒三種・赤四種。現存は大黒・東陽坊・早舟の三種のみ)、江戸時代末期に改めて選ばれた「長次郎新撰七種」(黒五種、赤二種)などが有名です。
長次郎と千利休が出会ったのは天正年間のことであったと考えられますが、その詳細は分かりません。秀吉に「天下一」と称された焼物師・田中宗慶を通じて出会ったとも言われるものの、田中宗慶自身、長次郎に劣らず謎の多い人物であり、この時代の楽家の流れには不明な点は依然多く残されています。とはいえ、天正年間に利休との作陶が始まり、明確なところでは天正14年、一説には天正4年の記録に、「今焼」の名で長次郎作の茶碗が現れています。楽焼の特長は、轆轤を使わない「手捏ね(てづくね)」で作られること、鉄釉を繰り返し使うことで出す独特の黒や赤などですが、その技法のほとんどが長次郎によって編み出されました。利休とともに侘び茶を追求したその作風は侘びそのものであり、質素のひとことに尽きます。その造詣は禅、ひいては老荘思想を組んだ理念的なものと評されますが、すうっ、と吸い込まれるその立ち姿は、感覚的には侘びの原型である「冷え枯るる」に近いとも言えるでしょう。現存する作品は決して多くはありませんが、利休が選んだといわれる「利休七種」(黒三種・赤四種。現存は大黒・東陽坊・早舟の三種のみ)、江戸時代末期に改めて選ばれた「長次郎新撰七種」(黒五種、赤二種)などが有名です。