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「古書 清水公照」
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古書 清水公照

清水公照

昭和と平成を代表する書画家・陶芸家、骨董買取・清水公照。もともと彼は奈良東大寺の住職で華厳宗にインスピレーションを受けていたりありのままの心で詩を書いた相田みつをのような作風が特徴的です。特に「泥仏」といわれる仏像はユニークで味わい深く、煩悩の境地を体現しているような陶芸を手掛けていて「煩悩のない人間などいない」「悩みに悩みぬいた時に出る心の汗が自分の人生を清めてくれるのだ」と語る程、彼の作品から見るかぎりとても粘り強さがうかがえるエピソードです。彼は、1933年龍谷大学仏教学科を卒業し1937年天龍寺にて4年間参禅し東大寺塔頭蔵院で同上生院住職となり1946年に帰国し東大寺塔頭宝厳院住職となる。そして、1947年今日の東大寺学園の前身・青々中学を創設し校長となると同時に書道教師を兼任する。1959年には東大寺勧学院院長、1963年には東大寺学園幼稚園園長、女子学院院長、1969年には華厳宗宗務長、東大寺執事長、学校法人東大寺学園理事長となる。そして、大仏殿大屋根昭和大修理のためにそれ以降10年に亘る創作活動を行ったまさに精進に精進を重ねた偉大な書画家・陶芸家なのです。書画家・陶芸家として創作をされてきた作品の中で「鶴之図」「うちわ絵」という書画があります。「鶴之図」については鶴に松の芽、彼が得意な図柄で赤い丸が描いてあります。これは日の出のようです。とても堂々とした佇まいです。そして「うちわ絵」はうちわの表と裏を両方使って描いています。温かみのある絵に仕上がっています。彼は東大寺管長で、幼稚園の園長を務めている時に園児の自由な発想に刺激を受け彼自身も「これならできる」と始めた陶芸や書画は軽妙洒脱で自由奔放な作風で亡くなるまでずっと描き続けてきた絵巻日記、生涯に1万体も制作した泥仏など多岐にわたって、遊び心をもって精力的な活動を続けた書画家・陶芸家なのです。これらの作品は園児たちの自由な発想の絵や紙粘土作りに触発されて自ら書画や手びねりでの泥仏の制作を始めました。その後も華厳の教えを、分かりやすい言葉で綴った書などもあります。何が理由で人々に華厳の教えを伝えたかったのかわかりませんが、そこには現在の人々に足りないものがそこには備わっているんじゃないかと思います。