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牧野虎雄

牧野虎雄

洋画・牧野虎雄は1890年に新潟県で生まれた日本の洋画家です。中学3年生の頃に画家になることを心に決め、洋画界の大家である黒田清輝の元へ師事を乞うたそうです。父の仕事の関係で東京都の渋谷に引っ越したことも彼の画家人生に大きな影響を与えたのではないでしょうか。黒田清輝に会いに行った後も画家を志す気持ちは途切れることはなく、1908年に東京美術学校に入学し、在籍中の1912年には千葉県の銚子で写生した絵画2点が文展への入選を果たしています。若い時分から才能を発揮しいていく牧野虎雄ですが、文展中止が決まった後の帝展開催時の1922年時、審査員に推挙されており永久無鑑査の資格を手に入れる程になったのです。写実的である、という事だけに走らなかった牧野虎雄の作品は、筆を自由に使ったデフォルメをその度に変えて時々の表情を作って行った作風で知られています。風景画を多く描く牧野虎雄ですが、その自由で豊潤な構図や色彩はどこか懐かしく、郷愁をさそう爽快感のある、力がほど良く抜けた素晴らしい作品ばかりです。そんな牧野虎雄の作品のひとつである「函嶺風景」はまさに、そんなほのぼのとした、哀愁漂う垰やかな作品です。淡い色彩で全体が構図されており、雲が流れる空の奥には、奥行きをバランス良く感じさせる山々の姿が垣間見えます。畑の風景や鮮やかに彩られる木々の数々の姿も非常に哀愁を感じさせ、見ているものの心を落ち着かせてくれる、そんな作品です。牧野虎雄のもつ、優しく慈愛に満ちた人間性がキャンパスそのものに落とし込まれたような温和な絵は、我々が忘れかけている日本の素晴らしさを思いださせてくるのです。牧野虎雄は自らの制作だけでなく、教育者としても美術界に大きく貢献しています。帝国美術学校や多摩帝国美術大学の教授を勤めており、後世に様々な技術を伝えていったのです。数々の名誉ある賞を受賞しながらも、作風をぶらさず、そして驕らず、自らの道を進み続けた牧野虎雄は日本の誇るべき芸術家の一人なのです。