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「金山平三」
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金山平三
洋画・金山平三は、1883年に神戸の港街に生を享けました。神戸の花隈(はなくま)で育ち、やんちゃで腕白な少年時代を過ごしますが、東京美術学校に入学してからは一転、真面目な画学生となってトップの成績で卒業します。美校では黒田清輝に師事し、その後、神戸に帰って私費留学の準備を進め、1912(明治45)年1月、パリに向けて神戸港を出発しました。留学中は、パリを拠点にヨーロッパ各地の美術館を見て回ったほか、気にいった土地に滞在して制作に熱中しました。帰国後の1916年、第10回文部省美術展覧会に出品した「夏の内海」が特選第2席となり、翌1917年には、「氷すべり」で特選を受賞、同展に審査なしで出展できる資格を得ました。金山は帰国後、東京の下落合に拠点をおいて、制作活動に励みました。雪があらゆるものを覆い隠すこと)、冬枯れの景色によって統一的な色彩を得られることに魅力を感じ、雪景色を中心とする冬の風景を描くことに没頭します。軽井沢、長野から新潟にかけて、また、北陸の海沿いまで、さまざまな地で筆を取った金山は、天候と時間によって変化する景色に眼を奪われました。そのなかでも、疎開地として訪れるなど、一年を通じて住んだ経験のある山形県大石田は別格で、風景の中の人々と生活を優しい目で観察し、季節や天候、一日の時間の変化を描ききりました。山形県大石田を描いた「雪景色」は、「日本人が見た日本の風景」と高く評価され、観るものの心を捉えて離しません。金山は1928年に、腹膜炎を患ってしまいます。闘病生活を強いられたことにより、創作上の転機が訪れました。この頃から、和紙に油絵具で歌舞伎絵を描きはじめます。この後、歌舞伎絵が、風景活動とともに、彼の二本柱となりました。1935年の文部省美術展覧会の松田改組を経て、金山は、政府系の美術展覧会を離れて孤高の道を歩むことを決心しました。実景に基づく風景画制作の探求にいっそう邁進し、移りゆく時間の中における一瞬を鋭い眼でとらえた名作の数々を残しました金山は晩年に脚光を浴び、没後に本格的な評価がなされるようになりました。