印籠 を買取させて頂きました
「印籠」について
国内外問わず大人気!日本の宝「印籠」
現代において「印籠」という言葉を聞くと黄門様こと徳川 光圀公が悪代官を懲らしめた後に振りかざすあの名シーンを想起される方も多いのではないでしょうか?
紋所を見て悪人が戦意喪失する様から「印籠」とはどこか特別で、由緒ある家の権威の象徴のようなイメージを抱かされます。
しかし、実際は一般の方々にも愛用され、ファッションアイテムのように身近な存在として我々日本人と共に歴史を歩んできました。
「印籠」の歴史
「印籠」は室町時代に中国から伝えられたと云われています。初めは読んで字の如く印鑑や朱肉を家で保管する箱だったようです。
実際に携帯して持ち運ぶようになった時代は諸説あるそうですが、江戸時代になると一般階層まで盛んに使用されるようになりました。
時代の変化と共に用途も変わり、長旅等で必要な薬を携帯する薬箱の役割を担うようなります。水戸黄門のTVシリーズでも印籠から薬を使うシーンが収録されています。
当時は道路の整備もされていなければ、公共交通機関はございません。長く険しい道のりだったことは容易に想像できるでしょう。旅中の怪我や病気は死に直結する過酷な状況で、命を繋ぎとめる大切な役割を「印籠」が担っていました。
江戸時代中期になると装飾品の意味合いが強くなってきます。当時は階級制度がありましたので、相応の格好をする必要があります。ファッションアイテムとして多くの人に愛される傍ら、威厳や品格を指し示すステータスでもあったようです。
装飾品としての「印籠」
「印籠」は緒締玉と根付をセットに腰帯に装着されるようになりました。
装飾品の要素が強くなるにつれ、細部まで拘って造られるようになります。
江戸時代後期になると蒔絵師によって豪華に彩色された優れた作品が多く残されています。
現代でも細工の細かさ、絵付けの上手さ、蒔絵の厚さなどによって取引額がグッと変わってきます。
中でも著名蒔絵師に細工された「印籠」は非常に高値で取引されています。
もちろん当時の作品に似せた贋作も多く出回っていますのでご注意を!
また、当時の文化や風習、日本人の技術力の高さを示す大切な教材であり、守るべき宝であることは間違いないでしょう。
残念ながら明治時代に多くの「印籠」が海外に流出した経緯があり、現在では日本国内よりも海外のオークション等で多く取引されています。
同時に海外での評価も高く、多くのコレクターが競り合っていることも事実です。
「印籠」を芸術の域まで至らしめた名工たち
当時の上流階級の人々は金に糸目を付けず人気作家に創作の依頼を行いました。
それは正に技術の結晶であり、世界でただ一つの芸術作品として本日まで受け継がれることになります。
一部ですが、そんな名工をご紹介させていただきます。
■柴田是真
江戸時代末から明治中期にかけて蒔絵師であり絵師としても活躍。掛け軸や日本画も残されており高額で取引されています。また漆を使った作品は唯一無二と評されており、絵師としての技術も遺憾なく発揮されています。
■古満寛哉
蒔絵師の家系・古満派として江戸時代に活躍しました。柴田是真の師としても知られています。また、日本画家の谷文晁と親交が深く下絵としても使用されています。
寛哉銘の作品は多く残されていますが、その真贋の見極めは非常に困難です。
■塩見政誠
京都で活躍した江戸時代中期の蒔絵師。箱物や印籠を多く残されており「塩見蒔絵」と独自の技法で人気を博しました。
名工達が丹精を込めて、技術の粋を集めて造った作品はコレクター達の心を掴んで離しません。
「印籠」は手の平サイズの大きさから非常に集め易く国内外から需要があります。
各地で展覧会が催されるなど「印籠」人気は衰えを知りません!
今一度、押入れや倉庫を探してみては如何でしょうか?
買取をご用命の際は是非とも八光堂をご利用ください!
査定について
今回の査定で一番大きなポイントは、蒔絵の細工です。
蒔絵の細工は作家本人の技量により、大きな差がでてきます。
私達が目にする作品は、シンプルな物から金彩蒔絵が豪華のものまで多くの種類を拝見させていただいております。
中国から伝来したとは言え、今や蒔絵は日本独自の伝統美術です。
お客様の大切なお品物を次のお客様へ繋げていく、そんな仕事が私たち八光堂の買取の仕事なのです。
さいごに
今回買い取らせていただいた商品は、上記の理由も重なり査定を頑張らせていただいた商品でした。このような「八光堂」だからできる高額買取は多数ございます。思い入れのある商品を、高額査定することに自信があります。
ご売却をお考えの方は、ぜひ八光堂・博多本店をご検討ください。