草間彌生のシルクスクリーンをご売却頂きました
世界を魅了する、今を生きる現代芸術作家「草間彌生」
草間彌生といえば「水玉」「網の目」「かぼちゃ」この三つのキーワードを思う浮かべる方が多いのではないでしょうか。今でこそ前衛芸術家として世界からも注目を浴びていますが、その人生は決して平坦な道のりではありませんでした。如何にして作品が生み出されてきたのか、草間彌生の生き様について少し触れていきたいと思います。
草間彌生の原点
色鮮やかに描かれているかぼちゃや水玉、網の目、草間彌生の代名詞とも呼べるものたち。これらは草間彌生が実際に見えていた景色を描いたといわれています。
ご存知の方も多いかと思いますが、彼女は幼少期、幻覚や幻聴に苛まされる日々を送っていました。今でこそ、統合失調症という言葉は人々に理解されるようになってきました。が、
その当時の人々に理解されるのは難しかったであろうことは想像に難くありません。そんな彼女が己を守るために筆を取ったのは必然とも言えるでしょう。
幻覚や幻聴という恐怖を絵に描くことによって心のバランスを保ち、いつしかそれが芸術へと昇華されていくようになります。
海外での活動
世界でも注目されている草間彌生さんですが、そんな彼女が渡米したのは、ポップアートやミニマリズムが脚光を浴び始めた1950年代の頃です。
そこで、ニューヨークで注目されるきっかけとなった「無限の網の目(インフィニティ・ネット)」という作品を発表します。また、ソフトスカルプチャーと呼ばれる柔らかい素材を使った彫刻や、鏡や電飾を使った環境彫刻という作品も手がけていきます。
1960年代後半には、「ヒッピーカウンターカルチャームーブメント」と呼ばれる既存の文化や社会体制、価値観に囚われずに本来の人間らしさを求める活動に草間彌生さんも参加します。そのときのパフォーマンスが裸に水玉模様のボディペイントを施したハプニング芸術と呼ばれるもので、アメリカでブームを巻き起こします。1973年に日本へ帰国した後もニューヨークやイギリスなどで個展を開き、現在でも至るところで個展が開かれています。
今、そしてこれからの草間彌生
順風満帆かのように見えますが、アメリカから帰国した直後それは崩れてしまいます。アメリカでブームを巻き起こした「ハプニング」と呼ばれるパフォーマンスは日本では受け入れられず、バッシングの標的となってしまいました。それによって彼女は傷つき、精神のバランスを崩し、以降病院で過ごすようになります。現在も病院での生活を続けており、ご本人が家と呼んでしまうくらいになっているほどです。
そんな状態であるにもかかわらず、絵を描くことへの情熱は消えることなくむしろ強くより強く、命とは、生と死とは、魂のあり方とは、それらを草間彌生から筆へ、絵へ、そしてそれを見た私たちへ、と流れているように感じます。すぐ近くには彼女のアトリエもあり、車椅子で移動をし、そのアトリエで彼女は今も世を魅了する作品たちを生み出していくのでしょう。