絹谷幸二 ミクストメディア原画 を買取させて頂きました。
「絹谷幸二」について
1997年に長野県で行われた冬季オリンピックの公式ポスターをデザインした人と聞かれて、皆さんはすぐにお分かりになりますか?
そうです。知る人ぞ知る、絹谷幸二です。
今日は表現の自由を希求し、絢爛たる迫力で見る者を圧倒する自在の才能に恵まれた絹谷幸二についてご説明しようと思います。
絹谷幸二は1943年奈良県奈良市の古くからある料亭に生まれました。
祖父の集めた多くの古美術品に囲まれながら育った絹谷は、物心ついた頃から絵筆をとり、小学校一年生になると油絵を習い始めました。
中学/高校ともちろん美術部に在籍し絵画や文学にのめりこみましたが、実は同時に野球部にも在籍していたことは余り知られてないかもしれません。
成績優秀だった絹谷氏は東京大学に進む事を望まれながらも、東京芸術大学美術学部油画科に入学します。
小磯良平の元、絵画を学び作品作りに没頭した絹谷は、なんと卒業制作の【蒼の間隙】で大橋小を受賞します。
その後、大学在学中に見た法隆寺の壁画に深い感銘を受けた事を忘れられなかった絹谷氏は、そのまま同大学大学院の壁画科へ進学する事になります。
1966年、23歳になった絹谷氏は第34回独立美術協会展で独立賞を受賞。
なんとその翌年も独立賞を連続受賞し、25歳の若さで独立美術協会の会員となるなど早くから若き頃から画家としての才能を開花させ注目を集めました。
1971年から1973年にわたりイタリアへ留学した絹谷氏。
大学院在学中から取り組んでいたアフレスコ古典画法の研究に取り組みます。
その後、独特な風合いを出す壁画の古典技法であるアフレスコ画を人間描写に適用し、現代絵画の幅を拡大しました。
1974年には第17回安井賞展で安井賞の最年少受賞を果たし、奥様と抱き合って心底喜んだそうです。
この技法を用いて制作を行っている画家は日本国内では珍しく、国内の第一人者となり、現在全国各地で公演も行っています。
絹谷作品は描くもの全てに豊穣さと純然たる鮮烈を落とし込んで行きますが、この鮮やかな色使いの独創的なバランスと勢いのある画面構成はやはり天才ならでは感性ですね。
上の写真は日本の象徴である富士山を、実際の富士の様な山肌を忠実に再現しながら原色を用いた生命感溢れる鮮やかな色彩な厚塗りで大胆に描きつつ、日本人が兼ね揃えている繊細さを忘れさせない作品。洋画家でありながら、まるで浮世絵の様な風合いを感じさせるこの作品は圧巻です。
因みに2013年には絹谷氏自らが首相官邸を訪ね、安倍首相へ自作の富士山の絵をプレゼントされた事も記憶に新しいですね。
絹谷氏の作品は未だに多くの人を魅了してやみません。
母校である東京藝術大学で、20年以上にわたり後進の指導にあたり、2008年には35歳以下の若手芸術家を顕彰する絹谷幸二賞を創立、翌々年の2010年には同大学の名誉教授になった絹谷氏。
若者の育成を大事にし、日本の美術教育に対する貢献も大きい彼は、決して流行に流される事なく、自分の信じる道だけをまっすぐ見続け進んできました。
彼こそが、本物の芸術家と呼べる数少ない日本人の一人なのではないでしょうか。
査定について
今回の査定で一番大きなポイントは、絵柄の良さです。
作家さんによっては、絵柄の良し悪しで査定額が前後します。絹谷もその一人で、作品ひとつひとつ、色合いも違いが出てきます。今回は絵柄・色合いなど両方ともよかったので、高額査定につながりました。
ご自身のお持ちの作品の絵柄・色合いはいかがでしょうか。もちろん、思い入れもあり大切な宝物です。ひとつひとつ丁寧に査定させていただきます。ぜひ、一度売却をお考えの場合は八光堂までお問い合わせ下さい。
さいごに
今回買い取らせていただいた商品は、上記の理由も重なり査定を頑張らせていただいた商品でした。このような「八光堂」だからできる高額買取は多数ございます。思い入れのある商品を、高額査定することに自信があります。
ご売却をお考えの方は、ぜひ八光堂・銀座本店をご検討ください。