角谷一圭 茶釜 を買取させて頂きました
「角谷一圭」について
【わび、さび】という日本独特の文化の中にある茶道。そして角谷一圭が追い求めた造形美、茶釜。今も尚、さまざまな姿、文様、肌合いの釜を生み出し続け茶道の美と精神を感じさせてくれる釜師、角谷一圭が後世に残す逸品についてご紹介致します。
代々宮大工を生業としていた角谷家。しかし初代 巳之助は鋳物の魅力に惹かれ鋳物師としての道を歩むことになりました。確かな技術を幼少期から父、巳之助の側で学びその才能を若くして開花させ始め21歳の時に大阪府工芸展に出品した鉄瓶が高評価を受けました。
その後本格的に創作者としての道を歩み始め、昭和53年には国の重要無形文化財保持者になりました。父、巳之助は蝋型鋳造を得意とし、鉄置物や鉄瓶を多く製作したのに対して角谷一圭は優雅なヘラ押しを得意とし、茶釜創作へと突き進んで行きました。また、和鏡の研究にも熱心に取り組みその情熱を傾け、茶釜の他にも数多くの作品を残しています。
茶釜を作る上で特に難しいと言われているのは鋳型から釜を取り出すまで、直接見ることが出来ないと言う点です。その為、茶釜を製作するにまでに10個の工程があります。
まずは釜の形を想像しながら紙で型を造ります。その後、紙型を元に鋳型を造り釜の形にして行きます。
ヘラを使い釜の側面に部分のデザインを決め釜鐶を通す鐶付を行いますがこの部分は鬼面 (きめん) ・遠山・松笠・茄子 (なす) などの形があり釜氏達の遊び心とも言われています。
ココまで形を整えやっと坩堝炉で熔解した和銑を型に流し込む作業にかかります。鋳型を傾けて余分な湯を受け杓に移し、湯口を整え仕上げに炭火でじっくり焼き抜きをする事で銀色の生々しい釜肌が酸化被膜に覆われ、さび難くなります。最後に釜肌を整え漆を焼きつけた後、唐銅蓋を漆黒の茶釜が完成するのです。文章で書くとたった数行ので中々伝わりにくいのが悔しいですが、10の工程と伝統を経て茶釜が出来ているのです。
特に角谷一圭が重要としているのは父、巳之助の時代より使われていた材料になる和銑(わずく)
日本古来のたたら製鉄によって作られ日本刀を作る際に用いる貴重な玉鋼(たまはがね)とともに生産された和銑を使用する事により洋銑に比べ、純度が高く、腐食に強い特性を持っていてしっかりとした手入れをすればその寿命は200年から300とも言われています。その分、一般的な鋳鉄よりも、鋳造が難しいと言われていますが父、角谷 巳之助より継承された確かな技術を用いて茶釜を優美に表現しています。
父から受け継がれたのはそれだけではありません!茶釜を作る際に使う土で作る鋳型。これは茶釜が出来ると壊されまた土に戻されます。そして新しい茶釜と作る際の鋳型として再度使われるのです。
現在も初代 角谷 巳之助が使っていた土を使い二代目 角谷 一圭が改良を加えた土を使用しています。こうして3代に渡り築き上げた伝統と技術を今もなお残す茶釜をもう一度見つめてみては如何でしょうか。
父、角谷 巳之助より継承された確かな技術は今、角谷 一圭の息子へと受け継がれています。
今もなお、当時と同じ製法で生き続ける鉄の芸術品。そんな角谷一圭の追い求めた造形美、茶釜は日本の文化【わび・さび】そのものです。この日本独特の文化を後世に残すお手伝いをさせて下さい!八光堂はしっかりとした鑑定の元、後世に残すべき伝統を守り後の時代へと受け渡し致します。
査定について
今回の査定で一番大きなポイントは、状態の良さです。
釜によっては、使用頻度やサビ具合により、底部に穴などが開いており、水漏れなどが発生してしまう釜もあります。お茶の道具は使用することが前提となっていますので、状態はとても重要なのです。
お客様がお稽古や茶席などで大切に使用されてきた道具ですので、どうしても品質が低下してしまうことは致し方ないのですが、状態を査定させていただくのは、次のお客様へ引き継いでいく私たちの大切な仕事なのです。
もちろん状態の良好な商品は査定もプラスにつけさせて頂きますので、お気軽にご申告下さい。茶釜などの茶道具の売却はぜひ八光堂までお問い合わせ下さい。
さいごに
今回買い取らせていただいた商品は、上記の理由も重なり査定を頑張らせていただいた商品でした。このような「八光堂」だからできる高額買取は多数ございます。思い入れのある商品を、高額査定することに自信があります。
ご売却をお考えの方は、ぜひ八光堂の店頭買取・出張買取をご検討ください。