時代を切り開いた巨匠、斉白石
「斉白石」について
◆生い立ち、指物師としてのスタート◆
斉白石が誕生したのは今から100年以上前の1864年、日本では幕末の頃、中国では清朝末期の時代、湖南省の貧しい農家の家に生まれました。困窮した生活の中、また病弱な体質であった為、学校には数ヶ月しか通えませんでしたが、幼い頃から絵を描く事が好きであった事もあり、14歳の時に箪笥や机など木工品を製作する指物師(さしものし)として働きはじめます。
指物師として白石は優れた技量を発揮し、次第に評判が広まっていきます。そんな中、仕事の傍ら肖像画を習いはじめ、27歳で本格的に絵画の画法や山水画、詩文などを学び、30歳には書法や篆刻も独学で学び、多様な能力を身に付けていきました。さらに白石は40歳ごろになると技術の修行だけでなく、実際に中国各地を旅しながら様々な土地や風景を巡り、各地の伝統的な文化や芸術を味わい、研鑽を積んでいきました。
◆「文人社会」中国について◆
若い頃より積極的に活動してきた白石ですが、それにも関わらず、著名になったのは壮年期以降の人生の後半期になります。それには、当時の中国での芸術における環境が要因となっていました。長い歴史の中、古くより掛軸などの芸術作品は教養が高く、学問に秀でた上流社会の知識人、いわゆる文人によって各時代の思想や文化を踏まえた書画や水墨画などが作られてきました。その為、当時は本人の素養や身分が高くないと芸術家として認められないような環境だったのです。
白石は貧しく生まれたが為に大変不利な状況でしたが、積極的な姿勢で活動を続け、やがて50代後半、遂に画名が知られるようになり世界的な著名画家へと躍進していきます。
◆現代画家、白石の活躍と画業◆
55歳頃に北京へ移住した白石は、画家としての生計を立て始め、著名画家の呉昌碩(ごしょうせき)などの画風を受け継いだ「紅花墨葉」という画風を確立しました。そんな白石の才能を書画骨董屋「栄宝斎」は北京で早くに見抜き、店舗で大きく白石の作品を取り上げ、数年後には世間に名を広めました。その後、日本をはじめ海外での評判も高まり、斬新な作品を生み出し続けました。
白石の作品特徴というと、蝦(海老)・蟹・鶏・蛙などをはじめとした生き物や、草花・山水などの自然モチーフを天真爛漫に描き、繊細さと大胆さを兼ね揃えた作風です。伝統に縛られない自由さ溢れる個性は、後に多くの芸術家達に刺激を与え、世界的に有名である彫刻家イサム・ノグチは白石が66歳の頃に半年間、画法を学びに来た事で彼自身の転換期となりました。
中国掛軸について
隋や唐の時代から発展を遂げてきた「書画」の世界
日本の書画とは少しテイストが異なり、その墨の濃淡や色墨が魅力のひとつでもあります。
現在景気や経済が高まっている中国では、美術品などに対する評価も以前に比べて一気に高まり、著名オークションなどでもピカソに劣らないような額になった作品もあるほどで、世界的に非常に熱い状況となっています。
さいごに
白石は90歳になっても年間に600作品以上、という作品数を精力的に描き続けました。伝統的な文人絵画に、それまで無かった奇抜で斬新な独特のデザイン性などの要素を取り入れ、中国現代画を切り開いた白石の作品は今みても尚面白く、人気がある作家です。さらに昨今の中国ものの盛り上がりの影響で、より評価は高まってきています。巨匠、斉白石の品をお持ちの際は、ぜひお気軽に八光堂へご相談くださいませ。
飾っていない掛軸がもしかしたら・・・ということもございますのでお気軽にどうぞ。