自然を愛したガレとジャポニスム
「ガレ」について
見る人の心を優しく、時に激しく揺さぶるエミール・ガレの作品。
きらびやかなガラスの中に垣間見える自然の情景の中には、どこか日本的で懐かしい気持ちになる作品があります。今日はそんな日本と深いつながりのあるガレのジャポニスムについてお話したいと思います。
◆ガレの自然観◆
エミール・ガレは1846年5月4日、フランス北東部ロレーヌ地方、ナンシーで誕生しました。自然豊かなナンシーは、ガレにとって植物や昆虫、動物への強い愛情を育んだ場所でした。父のシャルル・ガレの意向によってリセー(高等中学校)に通うと、文学・哲学・語学、そして植物学についてとりわけ専門的に学びました。
ガレは後に「数学が大嫌いでなかったら自然科学の学位でもとって、植物学者にでもなっていただろう」と語ったと言います。ガレの自然への興味はとても強いものだったのですね。
自宅には2ヘクタールの庭園があり、海外から取り寄せた希少な植物も含めると2000に及ぶ多様な品種を所有していました。ガレは「自然が本来備えている美しさを損なうような品種改良は悪である」としてありのままの自然を愛し、自身の作品でも自然の忠実な再現を徹底していました。
◆ジャポニスムとの出会い◆
ガレは19歳のときにドイツのワイマールに留学し、建築工芸学校で2年間デッサンやデザインの勉強をしました。その後父の工場でデザイナーとして働き、21歳の1867年に開催されたパリの万国博覧会で日本美術と出会うこととなります。
ジャポニスムとは19世紀後半、日本の開国をきっかけとして西欧に多くの日本美術品が知られるようになり流行した日本趣味のことをいいます。
ガレは日本のことを「キクの国」と呼び、大胆な彩色・非対称な構成・自然との親近感など今までにない美的感覚に大きな影響を受けました。ネオ・ロココに代表される歴史主義的な作品の需要を考慮しながら、ガレは形式的ではないジャポニスムの魅力を取り入れ、自然を自由に表現していくようになります。
◆日本の心を表現したガレ◆
元来、日本人と西欧人の自然観は全く違うもので、日本人は人間と自然を同等とみなし、西欧人は人間が自然の上に立っているものだと考えていました。しかしガレ自身はそのような思想を学びながらも日本的な自然観に共感し、理解していたようです。ジャポニスム全盛の時代、ガレも他の芸術家と同じように『北斎漫画』の鯉に始まりバッタ、蜻蛉といったモチーフを転用した作品を制作しました。1980年代に入るとそれはより感覚的なものへと変化し、茶の湯に通じるような「触れて愛でる感覚」や、木の葉の舞い落ちていく「もののあはれ」の表現をしていくようになりました。
ガレはジャポニスムに出会ったことによって、冷たいガラスという素材を用いながらも優しさや優雅さ、寂しさや切なさといった人間の感情や、昆虫や植物といったありのままの自然を表現することが出来たのです。
エミール・ガレは「運命のいたずらでナンシーに生まれた日本人」と評されるほど日本美術や日本の心を理解した人物でした。そのガレの作品が世界中で評価され、特に日本人に愛されていることはある意味自然なことなのです。ガレと日本、そしてジャポニスムは切っても切り離せない深い縁で結ばれたものだといえるのではないでしょうか。
査定について
ガラス製品で一番大事な査定要件はやはり状態です。
割れやすく、そしてヒビも入りやすい商品なので、たまに上部がカットされていたりと保管がとても重要になります。
ガレ以外にもドームやミューラー、ワルターにラリックなどのガラス西洋美術製品やマイセンなどの西洋磁器製品なども多数取り扱いしております。売却にお困りの方は是非八光堂までお問い合わせ下さい。
さいごに
ガレやドームに代表するアール・ヌーヴォーのガラス製品。いまだに多くのファンが日本全国にいらっしゃるようです。私も長野の北澤美術館でガレの素晴らしい製品を目にしましたが、やはり美しくかわいらしく、その魅力に惹きこまれていきます。買い替えなどを検討されている方もいらっしゃるかと思います。その際は八光堂までご依頼いただければ、精一杯頑張らせていただきますので、是非お問い合わせお待ちしております。