川端近左の棗を買取いたしました
塗師・川端近左と漆器の魅力
日本の伝統工芸として私たちに親しまれ、食器などの日常生活品にはもちろん、自然の接着剤として文化財の修復にも使われている漆。今回は、塗師・川端近左と漆器についてお話します。
初代川端近左は名を佐兵衛といいました。川端家は滋賀県の出身で油商「近江屋」を営んでいました。幕末のころに京都に移り住んでいました。家業の傍ら俳句や日本画など嗜む趣味人であったといわれています。
そのなかでも特に漆芸を好み、次第に家業になっていきました。ちなみに「近左」とは、屋号の近江屋と、名前の佐兵衛からつけられたといわれています。
初代近左の長男は日本画家の川端玉章(円山派の画家です。岡倉天心によって東京美術学校の教師として迎え入れられ、後に川端画学校を設立します。川端画学校の出身者にはあの有名映画監督の黒澤明もいます。)です。漆芸は初代の弟が2代を襲名しました。
2代目が襲名したころは幕末、ペリーを始め外国船の来航や開国など世の中が大きく変わろうとしていた時代。近左の京都にも不穏な空気が流れていました。そして1864年8月20日、前年の「八月十八日の政変」以降、京都から追放されていた長州藩が挙兵し御所周辺で激しい戦いを繰り広げました(蛤御門の変)。
川端家はこの戦乱で火災に遭い、大阪に移住し現在に至ります。当代・6代目川端近左は高校・大学と美術を学び、2000年に6代目を襲名しました。激動の時代に生まれた近差の技術は今も受け継がれ続けています。
漆器の技術は縄文時代からあるとされています。一本の木から取れる漆の量は約200ml(お碗を6客が作れる量)でとても貴重なものなのです。
漆器の魅力はなんといっても使っていくうちに輝きを増していくところでしょう。ある職人さんは「塗師の仕事は7割、あとの3割は使い手が作り上げるもの」とさえ言っています。
このように作り手と使い手が一緒になって輝きを作り出すところが、漆器の魅力の一つではないでしょうか。また、漆器によく見られる技法の一つの蒔絵の美しさも魅力の一つです。こちらも時代は古く、正倉院の宝物にも見ることができます。金色に輝く金蒔絵の美しさは特筆に価します。近左をはじめ、多くの人が伝え続けきた漆器の技術は、マリー・アントワネットにも愛されるなど世界中に広がっています。
さいごに
川端近左をはじめとする漆器の人気は世界中に広がっています。美術品の美しさはもちろん、日本の伝統として非常に価値のあるものです。そのぶん鑑定も経験が必要です。八光堂には経験豊かは鑑定士が揃っております。ぜひ八光堂へご相談ください。