小野珀子 金彩が織り成す雅やかな世界
「小野珀子」について
女性では2人目となる日本陶磁協会賞を受賞している小野珀子。さらに平成4年には、佐賀県の重要無形文化財の技術保持者に指定されています。
珀子は、金彩による煌びやかな装飾を施す“釉裏金彩(ゆうりきんさい)”や“金襴手(きんらんて)”などを得意とし、数多くの美しい作品を世に残しました。
そんな彼女が表現した世界の一部分をご紹介いたします。
父に小野琥山を持つ珀子は幼い頃から陶芸の世界に触れて育ち、昭和31年から父が経営する琥山製陶所(琥山窯)にて絵付けなどを担当し、陶芸家としての道を歩み始めます。昭和35年にはデザイナーの澤田米蔵(澤田痴陶人)を琥山窯に招き、彼の自由な作風と結びつくことで金襴手の新たな世界が編み出されました。
そんな中珀子は、昭和39年に人間国宝・加藤土師萌の釉裏金彩に出会い、その眩い美しさに衝撃を受け、釉裏金彩の製作に情熱を注ぐようになります。金襴手など金を扱うことに慣れていた珀子は、作品作りにのめり込んで試行錯誤を重ねた研究の成果が実り、昭和44年には日工芸会西部支部展にて「釉裏金彩紫陽花文青釉水指」が初入選を果たします。
その作品を契機に次々と珀子の作品は評価を得ていき、昭和55年には女性では二人目となる日本陶磁協会賞を受賞します。この賞は、加藤土師萌の発案により創設されたその年に顕著な功績を残した作家に贈られる賞で、清水卯一をはじめ、清水九兵衛(六兵衛)、酒井田柿右衛門、徳田八十吉…と陶芸の世界では錚々たる面々が受賞している大変名誉ある賞でもあります
金襴手とは、磁器に金箔や金泥などの金彩を焼き付けて絵付けをする技法で、中国・宋時代に発祥し発達した技法が17世紀江戸時代中期に持ち込まれたものとされています。主に背景を赤で塗り、金彩で絵付けしたその彩りから織物の金襴に由来して金襴手と呼ばれるようになりました。
琥山窯でも金襴手が有名で、珀子も数多くの作品を発表しています。
デザインに添って漆を塗り、その漆の上に金箔を重ねることで文様を描き出していきます。この漆が素焼きの陶器と金箔を付着させる役割を果たすため、失敗が利かず非常に高い技術が要される技法のひとつでもあります。
輝きを放つ壮麗な金色の文様は、得も言われぬほどの麗らかな優美さが表されています。
釉裏金彩とは、本焼きをした磁胎に厚さの異なる金箔を貼り、その上から透明の釉薬をかけて焼き上げたものです。金箔を貼り付けた時点では同じに見えますが、焼き上がると薄い金箔は釉薬に溶けたように薄く透け、厚い金箔はくっきりと文様になることで奥行きが表現できるのです。
ですが、高温で焼いてしまうと金箔が崩れてしまうため、低温でじっくりと焼き上げます。また時間が長すぎても短すぎても金箔の美しさが失われてしまうため、時間や温度管理などの細かい調整を繰り返した末にようやく出来上がる至高の芸術品なのです。
このように釉裏金彩は大変手間のかかる技法でもあるため、大量生産が困難な陶芸のひとつでもあります。
珀子も数々の失敗を繰り返し、完成するまでに4~5年の歳月をかけ考究を続けた結果、珀子ならではの気品漂う釉裏金彩が完成されます。
塗り重ねた釉薬の中に透ける金箔の艶やかさは筆舌に尽くしがたいほどの佳麗な煌きを放っています。
さいごに
小野珀子はあまり一般的には知られていない陶芸家かもしれません。ですが、珀子の創り出す金彩の眩耀な美しさは、有名な陶芸家の作品と比べても見劣りせず、独自の世界観が見事に花開いた作品ばかりです。
女性ならではの繊細かつ幻想的な作品は、海外でも高い評価を受けており、海外の美術館にも多数展示されています。
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