藤田喬平の花瓶を買取しました
日本の伝統と異国情緒の融合・藤田喬平のガラス
きらびやかで華麗なガラスの数々。ガラスは様々な表情を持ちます。ひんやりと静謐な作品。あたたかみのある温和な作品・・・不思議な美しさに魅了され、触れたくなってしまうのは何故でしょうか。それは繊細な作品の中に、作家の情熱を感じ取っているからかもしれません。本日は魅力に溢れたガラス工芸家、藤田喬平をご紹介いたします。
藤田喬平は、1921年に東京都新宿区で生まれました。上野の東京美術学校で彫金を学び、1947年、岩田工芸硝子に入社しガラスの世界に入りました。けれども、ガラスを「容器」として扱う日々のなかで、次第にガラスを「作品」にしたい思いが強くなっていきます。「人間は100年は生きられない。ならば悔いを残すまい」そう考えた藤田は、自分が信じる道を進むことを決心します。そして1949年、退社をしたのちガラス作家として独立しました。ガラス工場の一部を借りて、出来上がった作品をすぐに自ら売りにゆき、また仕事に取りかかる日々。その日暮らしという状況下でも、挫折することなく地道に製作を続けていきました。
独立してから15年、藤田は個展で「虹彩」を発表します。熱を加えられ、まるで生き物のように動くのがガラス。その一瞬を切り取った作品に「流動ガラス」と名付けました。「誰にも真似できない作品をつくりたい」という藤田の熱意が形となりました。
「虹彩」の発表より約10年後の1973年、世界から絶賛される作品を送り出します。それが「飾筥(かざりばこ)」です。学生時代より琳派に憧れていた藤田。光琳がガラスを用いればどんな作品を作ったかと思いを馳せ、イメージを固めていきました。
第一作「飾筥 菖蒲」は、光琳の「燕子花」を表現するため、緑青のガラスと銀箔で作られています。光琳は花の配置を計算し、屏風の前に立つ人を惹き立てるよう描いたといわれます。藤田は飾筥を次のように説明しました。「この筥には夢を入れて下さい」と。「飾筥 菖蒲」には、不思議な奥行きと立体感があります。その意図とは、飾筥の中の夢を守りながら、可能性を引き出して惹き立てたいという願いが込められているから、なのかもしれませんね。
ガラス作家憧れの地、ヴェネツィア。藤田も伝統と技術を誇るヴェネツィアでの製作活動を考えていました。飾筥で「世界のフジタ」として世に知られた頃、海外で開催した個展でイタリアへ渡るきっかけを得ます。
言葉も通じないヨーロッパに渡り、製作をするのは困難でしょう。それでも、試行錯誤を繰り返してガラスと向き合い続けました。理由は、この言葉に表れているのではないでしょうか。「この仕事で食べていく。そう決めると強くなる」
ヴェネツィアの自然や豊かな運河、料理などに包まれて、藤田は新たな作品のイメージを次々と構築していきました。ヴェネツィアガラスの伝統技法「カンナ」を取り入れたシリーズは、イタリアで育まれた鮮やかな色彩と、日本人ならではの感性に基いた曲線が見られます。藤田は世界のガラスという素材で日本の伝統を表現し、新たな作品を作り続けたのです。
さいごに
強い意思を持ち、本当に良いものを目指して製作を続けたガラス作家、藤田喬平。日本の伝統を敬い守りながら、かつて無い新しい作風の数々を世に送り続けました。入念に作り上げられた作品の一つひとつが貴重です。ガラスは繊細で鑑定も難しいですが、八光堂では丁寧にしっかりと査定させて頂きます。ぜひ八光堂へご相談を。お待ちしております。