鈴木蔵の志野茶碗を買取しました
志野焼きで世界を魅了した人間国宝!「鈴木蔵」
志野焼きの復興に尽力する人間国宝。
志野焼きの名前を世界に広めた蔵の功績は後世に語り継がれる偉業となりました。
その独特な色合いと形は私たちの心を掴んで離しません。
特徴でもある赤は摺れば摺るほどに、深い色調を帯びると言います。
その探究心と、創作意欲は驚嘆の一語に尽きます。
今回はその鈴木蔵の足跡を追って行こうかと思います。
美濃焼きの産地である岐阜県土岐市に生まれます。
幼少期から自宅近くの窯跡から陶片を拾うなど、陶器への興味は養われていたようです。
また、父親は釉薬の研究者として活躍していました。
高校卒業後、美濃焼きの第一人者である加藤幸兵衛が主催する丸幸陶苑に父親の助手として入社します。釉薬と土の研究により陶芸の基礎を学びます。現在、蔵が得意とする志野釉の色は父親の薫陶を受けた賜物と言えるでしょう。
父親の助手を続けると同時に自身の作品制作・古窯跡の探索などを行っていきます。
この時期にも優れた作品を多く制作し、現代日本陶芸展やチェコ国際陶芸展などで名誉ある賞を数多く受賞していきます。
その後、古来の窯を改良し独自のガス窯を設置し独立します。
以降も制作を重ね1994年重要無形文化財「志野」の保持者に認定されます。
岐阜県で盛んであった美濃焼きの一種として桃山時代に誕生し、江戸時代にはその技法が途絶えたと云われています。
1930年、志野焼き初の人間国宝である荒川豊三が古窯を発見し、復興に尽力したことから広く知られていくようになります。
日本人が初めて作った白い陶器として「志野焼き」の名前は知られています。
また初めて筆で絵付けされた焼き物とも云われています。
特徴としては志野釉と呼ばれる白い釉薬を大ぶりな器にたっぷりかけて焼き上げます。
鈴木蔵はその白に独特の赤みを合わせることによって古志野とはまた違う現代の洗練されたデザインを確立させました。
「鈴木クラさん」の愛称で親しまれる彼の作品は赤みの発色が特徴的です。
作品には大抵、底部に「オ」や「蔵」と掻き銘がございます。
使い勝手の良いお茶碗が高値で取引され、中でもその赤みが濃い作品は非常に人気があります。水指や壷など大ぶりな作品も大作として重宝されています。
実際に彼の作品を見たことがある方はお分かりだと思いますが、その立体感や器の存在感は迫力満点でずっと眺めていても飽きることはありません。また触れることで土の温かみや使う者の事を考え抜いた蔵の人柄を感じることが出来るかと思います。
個展に出品され、図録に掲載されている品はコレクター心をくすぐる作品としてやはり高額でお取引されています。
さいごに
志野焼きの魅力を生涯をかけて追いかけ続ける蔵の人柄と情熱は見事に作品に反映されています。彼の作品は日本人のみならず世界の人々を魅了し続けています。正に日本の国宝として、今後も彼の作品を次の世代に引き渡す架け橋になれるようにと八光堂は考えています。
買取をご用命の際は是非とも八光堂をご利用ください!