伊藤若冲の絵にかけた人生
伊藤若冲の絵にかけた人生
京都の夏はやっぱり蒸し暑いです。
祇園祭が開催される7月中は世界各国からの観光客も多く、特に人手の多い宵山、山鉾巡行は例年雨に見舞われることが多いのですが、今年は好天に恵まれ、浴衣姿の方も多くおられたように感じました。
さて八光堂の京都店は錦小路通り沿いの大丸京都店のすぐそば、フェリーチェ四条ビル1階に店舗をオープンしました。
京都店から程近い錦市場は暑さも伴いアーケードの日陰を求めて人通りも多く買い物客で賑わっています。
今回紹介させていただきますのは、その錦市場にもゆかりのある「伊藤若冲」です。
錦市場のアーケードの入口はちょうど伊藤若冲の生家跡になります。
生家跡地を示す若冲の絵をプリントした門柱と看板が道行く人の目をひきつけており記念写真をとる方も多いです。
その門柱を見てもやっぱりすごいなぁと思います。
生がみなぎっているというか、今にも動き出しそうです。
歴史を紐解くとこの若冲は本当に絵を書くのが好き、というか人生かけてます!
錦小路の青物問屋の長男として生まれ、22歳のときに父が亡くなり家業を継ぎましたが、商売には関心がなく、また当時は芸事にはたしなみや、こやしとされていた酒や女遊びにも興味を示さなかったようです。
30歳で狩野派の門をたたきましたが、このままでは自分なりの画法は見つけられないと画塾をやめて独学で絵の腕を磨きました。
そして39歳で弟に家業を任せて隠居。
弟はそんな兄を理解し画業を経済面からも支えたそうです。
そんな若冲の隠居生活で若冲らしいといいますか、絵にかける情熱を感じる史実があります。
模写に明け暮れる生活の中、ある日のこと若冲は気づきます。
「絵から学ぶだけでは絵を越えることができない」
生き物、実物には気が宿ると考えていた若冲は、その真の姿を描きたいと庭で数十羽の鶏を飼い、すぐには絵を書かず、その生態を知ろうとおよそ一年もの間、ただただ鶏を観察し続けたようです。
その後2年以上も絵を描き続けた結果、若冲は鶏だけでなく、生きとし生けるものに気を感じ取れるようになり自在に描けるようになったとのことです。
以降、85歳で亡くなるまで絵に没頭します。
若冲の絵は弟の支えもあり、当時でも品質の良い画材を使用できたため、現在でも保存状態が良いものが多く残っています。
とはいえ、実際なかなか手にとって見ることはできません。
買取りするとなると高額になることは間違いないですね。もし、ご自宅にあれば査定だけでも!
とにもかくにもまずは見てみたい!
熱くなってしまいましたが、もちろん若冲以外でも絵画や骨董品、西洋美術も中国骨董も、金銀プラチナ、宝石、貴金属もしっかり査定し買取りさせていただきます。
査定のみでももちろんOK!無料で査定させていただきますのでご安心ください!
京都観光のついでにでもぜひ!
皆様のご来店をお待ちしております。
さいごに
若冲の作品はなかなか手に入る商品ではありません。だからこそ、私たちも本物を求めております。これはもしかして・・・とお考えになっている商品がございましたら是非とも私たちに一度拝見させてください。
また八光堂・京都店もご来店お待ちしております。