美術品と贋作
美術品と贋作
こんにちは。
今日は、美術品とは切っても切れない関係にある「贋作」のお話を致します。
買取金額が何百万円もするようなお品物には、必ずと言っていいほど、贋物があります。
今日はそんな贋作の歴史をひも解いてみましょう。
◆贋作の歴史◆
贋作の歴史は古く、古代エジプト王朝の遺跡からは、「ガラスから宝石を作る方法」について記されているパピルスが見つかっています。
ヨーロッパでは有名作家の贋作を売り込み、巨額の富を得た贋作作家もおりました。
中には、第二次世界大戦中にフェルメールなどヨーロッパの大家と呼ばれる油絵画家の作品をナチスの高官に売り込んだことにより裁判にかけられた美術商が、実は自分で巧妙な贋作を作ってナチス高官に売っていたことがわかり、一点ナチスを欺いた救国の志士として脚光をあびた贋作師もいました。
日本でも贋作の歴史は古く、少なくとも江戸時代には、江戸中期の日本画の大家・谷文晁の弟子が小金を稼ぐために、師匠である谷文晁の作品の贋作を作成し売りさばいていた、という記録が残っています。
ちなみに、谷文晁の耳にも当然弟子が贋作を売っていると報告があがったのですが、笑って許したそうです。
しかも、弟子が無断で谷文晁の落款(作家が作品中に押すハンコ)を勝手に持ち出して使っていたのも黙認していた為、江戸時代の当時から真贋の見極めは困難を伴ったそうです。
また、戦後日本では「永仁の壺事件」という、当時の文部省が「鎌倉時代の名作」として重要文化財の指定を受けた徳利が、のちになって加藤唐九郎が作った贋作だと判明したこともありました。
重要文化財の指定をした文部省の技官は責任を取って辞職、加藤唐九郎も無形文化財有資格者の認定取り消しの処分が下りましたが、事件に関しては謎も多く、真相が闇に葬られたままとなりました。
◆八光堂では・・・◆
人を惑わす贋作。八光堂では、鑑定士が贋作に騙されないように、贋作を資料として保存し、定期的に勉強会を開いています。
しかし、贋作にも多種多様なものがありますので、それだけでは贋作を見破ることができません。
それでは本当に真贋を見極めるには、どうすればいいのでしょうか。
それは、「本物をたくさん見る」ことです。
贋作を作る理由は「楽して儲けたい」という考えで作られることが多いです。
その為、細部のデティールが甘かったり、絵の具の質が悪かったりします。
しかし、本物は決してそのようなことはありません。作家さんが一品一品丁寧作っていますし、何より中途半端な作品を世の中に出してしまっては、己のメンツにもかかってきます。
本物からあふれ出る、作家さんの気迫・熱意、そして作品への惜しみない情熱を受け止め、感じることができるようになって、初めて「鑑定士」を名乗れるのです。
人は楽をして生きていきたい動物です。その為には、人をだますのも1つの方法です。
どんなに精巧な贋作でも、邪な思いが一瞬の刹那に作品に入り込んでしまうものです。
人間が終わりなく芸術作品を作り出すように、今後も贋作と鑑定士の戦いも終わりなく続いていくのです。