東山魁夷の絵画を買取しました
昭和を代表する日本画家、詩的な情景を得意とする“東山魁夷”
皇居新宮殿の壁画や東宮御所壁画も手がけた千葉県市川市の名誉市民で、文化勲章受章者と言えばこの方。
東山魁夷です。
国語の教科書に作品が使われている事もあり、絵画に興味のない方でもご存知の方は多いのではないでしょうか。
本日は大器晩成ながら、数々の名画を生み出した昭和を代表する日本画家、東山魁夷についてご説明しようと思います。
◆東山魁夷の生い立ち◆
東山魁夷(本名:東山新吉)は明治41年7月8日神奈川県横浜市にて誕生しました。
3歳の時に兵庫県神戸市に転居した魁夷は、幼少期から良く絵を描いており、中学在学中から画家への道を志しました。
元々は油絵を描いていた魁夷ですが、東京美術学校(現東京芸術大学)へ入学する際に父が画家を目指す条件として日本画専攻と言い出したことにより、同大学の日本画科へ入学。勉強熱心だった魁夷は、挿絵のバイトをしながら大学に通いました。
その後、ベルリンの大学に留学をし、めきめきと力をつけていった魁夷ですが数年の後、暗い影が差し始めます。
留学2年後に父が病に倒れ、留学期間半ばで帰国、戦争による疎開と応召。応召先の熊本では自爆訓練に明け暮れた日々。
魁夷は、自らの死を意識せざるを得ない状況に置かれていました。
戦後、やっとの事で再び筆を手にした時には魁夷は全ての肉親を失い、絶望のどん底でした。
失意の底から絵を出展するも落選が続く日々。
そんな諦念の波にさらわれながらも出品を重ねた魁夷にようやく風景画家としての道が開かれたのはそれから2年後のことです。
◆独自の表現で風景画を追求◆
絶望のふちに追いやられた魁夷でしたが、1947年の第三回日本美術展覧会で【残照】が特選に入ります。大自然の圧倒的なエネルギーあふれる魁夷の描く山々は、実際に存在する風景ではなく、千葉県鹿野山の九十九谷と甲州や上越の風景を組み合わせた架空の風景だそうです。この作品は政府の買い上げとなり、東山魁夷の名を広く世間に広めます。
この後も【道】【緑響く】【朝焼けの潮】等の代表作と次々と発表。戦後の日本画壇で揺ぎ無い地位を築き、皇居・唐招提寺といった名だたる場所に作品を描き、海外でもその実力が認められ、名実ともに世界の東山魁夷となりました。
日本画家としてその評価を確立した東山魁夷は、
1960年:東宮御所壁画『日月四季図』
1968年:皇居新宮殿壁画『朝明けの潮』
1975年:唐招提寺御影堂障壁画『濤声』『山雲』『黄山暁雲』
などの大作を依頼され、戦後の日本画会に大きな足跡を残します。
彼の作品には、自身の人生で経験した何らかの感情が含まれており、彼の心そのものが反映されています。
魁夷の作品はこれからも人々の心に永遠に感動を残してくれるに違いありません。
さいごに
先日八光堂ではこちらの絵画を買い取らせて頂きました。魁夷の代表的な色、青緑を使用しているこの作品は、写実的でありながら繊細な色彩を用いる事で魁夷の優しさや芯の強さを、そして何よりも風景画の美しさを改めて私達に教えてくれます。魁夷の作品は、どの作品を見ても心に澄み渡るものがあります。それは魁夷が体験した戦争が彼に与えた生命の強さと優しさが作品それぞれに命を宿し、秘められた魁夷の人柄や心が私達の心に共鳴しているからなのかもしれません。
私達は鑑定士であり、美術品の愛好家でもあります。皆様ご自慢のお宝をぜひ私達にも拝見させて下さい。来店や出張のご依頼お待ちしております。