世界から評価される幻想絵師「愛の画家」“マルク・シャガール”
世界から評価される幻想絵師「愛の画家」“マルク・シャガール”
「絵画には、作家の人生が詰まっている。」
そんな言葉を耳にした事はありませんか?
独特な世界観で自分の世界を、物語を、詩情あふれる作品として豊かな色彩感覚で表現し、絵画に留まらず、舞台装置や彫刻、陶芸に舞台装置等様々な分野の制作に明け暮れた作家。
死して尚、その幻想的な作品は世界中の人々を魅了してやまない20世紀の巨匠。
今回はそんな豊かな才能を兼ね備えた絶大な人気を誇るマルク・シャガールについてお話したいと思います。
■マルク・シャガールの生い立ち
マルク・シャガールは1887年にロシアのヴィテブスクのユダヤ人家庭に生まれました。
若い頃から日常風景や風俗画など多くの作品を描いていたシャガールは、1907年にサンクトペテルブルクの美術学校に入学します。
しかし、この学校での教育に満足しなかったシャガールは1909年にレオン・バクストの主催する私塾へ編入、ここで色彩的な表現技巧に触れます。
その事は、後に彼が色彩の魔術師と称される土台となりました。
1910年、一足先にパリへと出ていたバスクトを頼りに単身パリへ。
当時のパリでは、マチスなどのフォーヴィズム、キュビズム、イタリアの未来派などの芸術運動が渦巻いており、そうした新しい動きに刺激され、シャガールの画風は構成主義の影響の濃い作品から愛に重きを置いた作風へと変化していきます。
暗くくすんだ感じの色彩で覆われていた絵から、色彩の氾濫といってよいほど驚くほどに色遣いが変化したのはこの頃からです。
その後、1914年にロシアへ戻ったシャガールは、彼の歴史に大きなインパクトを残すベラという女性と運命的な出会いを果たします。
■ひたむきに妻を愛し続けた愛の画家
1915年ベラ・ローゼンフェルトと結婚。
シャガールはベラをひたむきに一途に愛しぬきました。
そして生涯に渡りベラの肖像画や彼女への愛や結婚をテーマにした作品を数多く制作したのです。「愛の画家」と呼ばれる背景にはベラへの深い愛情があったのです。
シャガールは1922年頃から版画の制作も始め、後世に約2,000点にも及ぶ名作を残します。
1941年第二次世界大戦の勃発を受け、ドイツに占領されてしまったフランスでナチスの迫害を避ける為にアメリカへ亡命します。
その三年後、シャガールの最愛の妻であるベラが病により急逝。
悲嘆に暮れるシャガールは暫く絵筆を取れなくなりましたが、それでも精力的に制作活動をつづけました。
八光堂では様々なシャガール作品を買い取らせて頂いております。
例えばマルク・シャガール作 【エルサレムウインドウ“サブロン族”】です。
こちらのシリーズはシャガールがエルサレム郊外にあるユダヤ教の教会の為に制作した、12枚のステンドグラスの下絵用に作られたリトグラフのシリーズです。シャガールはこのリトグラフでイスラエルの12の部族を描きました。
その中のヨセフ族とサブロン族の作品です。
おとぎ話の絵本の挿絵の様な雰囲気がありませんか?
全体のバランス、色彩のコントラストに目が惹きつけられます。
抽象的な作品ですが、柔らかくしみこむような筆のタッチから優しさや愛を感じます。
その反面、人間の根底にある苦しみや悲しみを同時に感じてしまうのは、過酷な現実に翻弄されながらも、懸命に作品を描き続けいつだってベラへ寄せるその愛の芳香を作品へ込めていたからなのかもしれません。
シャガールの絵は、そんな隠れたはかなさが作品をより魅力的にしているのだと思います。
さいごに
ユダヤ人として生まれ、迫害、亡命、移住を繰り返し、晩年は南フランスのコート・ダジュールを終の住処としたシャガール。
98歳まで生きたシャガールは死ぬ直前まで旺盛な制作意欲を発揮し、現役の画家として活躍しました。
作品に触れ、何かを感じ取る事が鑑賞の醍醐味であると個人的に思っています。
皆様も心に響き渡る何かを感じに、彼の物語を覗き、色彩の魔術師の魔法にかかってみては如何でしょうか。