田村能理子の絵画を売却頂きました!
「田村能理子」について
今回は愛知県出身の女性画家田村能里子さんについてお話したいと思います。田村能里子さんは武蔵野美術大学で油絵について学び、名古屋にて旅芝居小屋や祭市など郷土を題材とした作品の製作活動をし、商社マンである旦那様と結婚。夫の赴任地であるインド・カルカッタに滞在し、現在の作風の根源をその地に見出します。田村能里子さんが描く壁画や絵画、その作品はまさにアジアの風を感じさせるものでした。
インドカルカッタ
1970年代当時はガイドブックなどもなく、人づてに聞いた情報のみという不安な状況での海外生活。初めてインドという地に立った時、現在では想像も付かないような衝撃があったと思います。
インドは宗教、生活環境、衛星状況など日本とは大きく異なります。生活の変化はもちろん、カースト制度や宗教対立などもありスケッチなどをすることも困難な環境に田村能里子さんは最初、戸惑ったそうです。食べ物は火を通さなければ食べることもできず。水で洗うとかえって汚れてしまう、そんな過酷な気候風土の中で、貧しくても力強く生き抜く、鋭い顔つきの女性たち、その生命力があふれ出す独特の空気感。田村能里子さんの作品はそれらの気配が漂います。
ある日、カルカッタの図書館でインド人の写真家の写真集を目にしたそうです。その中で、壁画に埋め尽くされた街の写真に強烈な印象を受けました。日本に帰国後もその写真集の事が頭から離れず。その本を頼りにラジャスタン砂漠のジュンジュヌへの旅を決意されました。
ジュンジュヌの壁画
シェカワティ地方のジュンジュヌは郊外の街、現在でも情報は少なく観光客も訪れない場所です。その町は壁画で埋め尽くされており、一般の家屋の壁や天井にも余すところなく絵が描かれているとても美しい町です。
その町を目指してニューデリーから汽車で移動中、偶然出会ったジュンジュヌの大学の学長に案内される機会に恵まれた田村能里子さんは様々な物を観ます。それはまさに生活に密着した芸術、寝起きする寝室や、食事を準備するキッチン、家具に至るまで、あらゆる所に描かれていたそうです。ジュンジュヌで滞在していく中で、それらの芸術が生活に与える魅力にどんどんと魅せられていきました。田村能里子さんはインドでの生活、インド美術、仏教遺跡などの影響により描きたい物を見つけることができたと語っています。
アジアの風土
インドから帰国後、1986年、文化庁芸術家在外研修員として中国に滞在するという機会に恵まれます。北京中央美術学院にて留学、終盤に西安を基点として、シルクロードへの単独旅行をし、トンコウ、ウルムチ、トルファン、アクスを経てカシュガルに至る同地にて数週間滞在します。製作を進めていきます。
それまで、油彩画を書き続けてきた田村能里子さんは、インドでの体験から壁画に思いがあり、1988年 中国・西安のホテル「唐華賓館」にて始めて壁画の作品を手がけます。その後、近年にかけて50にものぼる壁画作品を手がけております。
壁画と絵画の違いを田村さんは言われており、絵画と違い壁画は様々な人の目に触れる事が良いのだと、また、製作過程も壁画制作にあたり様々な職人さんと一つの作品を作り上げる喜びがあり、現場によっては時には暑く、時には寒いといった中で製作をしていく違いが壁画の魅力であると言われています。女性壁画家として、有名になった。田村さんの作品には、大地の力強さ、アジアの地に暮らす人々の鼓動を感じることができる作品となっています。
さいごに
田村能里子さんの作品にはアジアの風が吹いています。シルクロードを通り、日本へと伝わってきた文化やそこで生きている人々の気配が、力強い原色、女性的な柔らかなタッチで描かれております。
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