観賞石文化と太湖石
観賞石文化と太湖石
太湖石とは中国の太湖という湖の周辺から産出される穴の多い複雑な形の石の事です。
日本では岐阜県明星山から産出されますが、日本人にはあまり馴染みのないものです。対して中国では昔から庭石として置かれていたり、絵画にもよく描かれています。
湖の水により長い年月をかけ浸食された石灰岩の歪な形は、人の手では再現できない自然の芸術品として古くから重宝されてきました。
中国における観賞石文化
中国では古来より石を愛でる「観賞石」文化があります。
現代でも石愛好家は多く、石の模様を山水画に見立てて楽しんでいます。なんの変哲もない石でも色合いや形の歪さが面白がられ、唐時代には既に愛好されていたようです。
詩人で日本でも有名な白居易も愛石家の1人でした。太湖石は白居易が発見したという説もあります。
白居易は「石は文字が書いてあるのでも声を出すわけでもない、香りもないし味もしないが、魅力的な面白い形をしており人を満足させられるなら、ただの石にも高い価値が付く」と書き残しています。
昔の中国の人々は形状が豊富で不可思議な形の石の中に世界の理やこの世のあらゆる現象をも見出していました。特に太湖石は道教の視点からも、複雑にあいた穴が別世界への入り口と考えられていたこともあり、庭石として最高ランクの評価を受けています。
太湖石美の壷
太湖石はどのようなものが良いのか、美的な観賞ポイントについて諸説ありますが、もっとも有名なのが「痩・漏・皺・透」という判断基準です。
痩=細く長いこと、石が自立していること。
漏=でこぼこと穴が開いていること。
皺=石肌が良いこと、皺や模様が豊富で趣きがあること。
透=大小の様々な穴があり、奥の景色が見えていること。
ここに色合いや光沢・質感などの評価が加わった最高ランクの物は、皇帝や貴族たちがこぞって集めていました。特に北宋時代に芸術面で評価の高い8代皇帝徽宗は造園も行っており、名木や太湖石などの奇石を集め、運搬のために多くの人民を徴用し邪魔な民家や橋を壊してよいとし国民の反乱・国の滅亡を招きました。
太湖石の広がり
中国からの影響を多大に受けていた日本にも観賞石文化は伝わっています。
小振りな自然石を台座などに置き、石の下に砂を敷き小さな自然風景を表現し、石の形や模様を人間や動植物に見立てて楽しむ水石が古くから根付いています。
しかし太湖石は希少性や大きさの関係で運搬が難しいことから、日本では実物を観賞するよりも中国から伝わった書物などを基に、絵や焼き物の図柄として描かれてきました。
室町時代の絵師・雪舟は中国に渡った際、実際に太湖石を目にしているようですが、江戸時代の伊藤若冲、また狩野派の絵師たちは実物を見ずに太湖石を図柄に取り入れています。日本画で牡丹と太湖石の組み合わせは定番ですが、時代を経るたびに太湖石の描き方が簡素化していき、次第にただの丸で表されるようになり、だんだんと太湖石の面影がなくなっていきました。
さいごに
牡丹と太湖石の絵は「玉堂富貴図」という画題で長年珍重されてきました。花鳥図に描かれているものもあるので、お手持ちの掛軸や焼き物で何の図柄か分からない丸い絵が描かれていたら太湖石かもしれませんね。
現在、太湖石は中国の天然記念物に指定されており国外への持ち出しが禁止されていますが、日本で代々受け継がれたものや指定前にわずかに入ってきたものがあります。ご自宅に気になる石がありましたら処分する前に是非一度お問い合わせください。