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異彩を放つ現代陶器作家、加守田章二の世界
赤い下地に幾何学的な模様が並ぶ花瓶、はたまた白い下地に抽象的な模様の壺。そして、せっかく釉薬をかけて焼き上げたにもかかわらず、釉薬を削った皿。奇想天外で多彩な表現で私たちを魅了してやまない現代陶器作家、加守田章二。その作品たちはいかに誕生したのか。今回は彼の作陶の歩みから作品の誕生に迫ってみましょう。
そもそも現代陶器とは?
現代陶器といってもその作家や作品は数多くあります。伝統的なもの、民芸的なもの、あるいはクラフトやオブジェなどさまざまで、それに当てはまらないものもたくさんあります。
ざっくりとですが、「素朴⇔華やか」「使用するもの⇔鑑賞するもの」と特徴で分けてみるとわかりやすいと思います。たとえば、近藤悠三の金彩のぐい呑みはどちらかというと「華やか」で「使用するもの」、藤原雄の備前の大皿はどちらかというと「素朴」で「鑑賞するもの」でしょうか。もともとはただの土のかたまり。それをこねて、成形して、色をつけ、焼いて・・・。その中に昔からの技法を応用し、あるいは新たに創り出して、土に無限の表情を描き出す現代陶芸家たち。
では、いよいよその現代陶芸家の中でも異彩は放つ加守田章二に迫っていきましょう。
京都で過ごした学生時代
加守田章二は1933年に大阪府岸和田市で生まれ、京都市立美術大学へと進学しました。そこでは、富本憲吉や近藤悠三らが教鞭をとっており日本を代表する作家からたくさんの刺激を受けて過ごしました。そして富本憲吉に師事し、模様を数多く考案する憲吉の独創性を学びました。章二の独創性はこのような環境のもと育まれていったといえます。
京都市立大学を卒業後、日立製作所が設立した大甕陶苑や塚本製陶所で作陶し、その後独立していきます。
自由な作陶をもとめて
卒業後、章二は茨城県の大甕陶苑にやってきます。憲吉の紹介を受けてのことでした。日立製作所の設立ということもあり、会社にちなんだ陶器の作成に取り組みます。そこでは伝統的は作品をつくることが多かったといいます。そして日立社員として栃木県益子の塚本製陶所に移り益子焼を中心に作陶していきます。
章二は「日立社員」として会社にちなんだ作品を作っていましたが、「会社に縛られたくない」と自由な作陶を求めて(←ちょっとカッコいいですね。)退職し独立します。のちに、岩手に活躍の舞台を移しますが、憲吉に学んだリベラルな発想で新しいことに挑戦し作品を作り続けます。
章二の多彩な表現の源には、憲吉から受け継いだリベラルで独創的発想と、日立社員として伝統的な作品を作った経験があるようです。
さいごに
陶芸作家として確固たる地位を築いた章二ですが、晩年は水彩画を試みています。大成してもなお、新しいことに挑戦する姿勢も作品の魅力につながっているのかもしれません。そんな章二の作品は非常に人気です。加守田章二の作品のご売却をお考えの際は古美術八光堂へぜひご相談ください!!経験豊かな鑑定士がお待ちしております。