美しい曲線と層から作り出される工芸品―堆朱―
美しい曲線と層から作り出される工芸品―堆朱―
掛け軸の軸や、香合など細かい文様と美しい層で見るものを楽しませる堆朱。もともとは中国から伝わったものであるということをご存知でしょうか。本来、漆とは腐敗や湿気から物を守るものとして利用されていました。その漆を漆器として工芸品にまで高められたその謎に少し触れてみようと思います。
そもそも堆朱とは?
堆朱(ついしゅ)は、もともと中国漆器である彫漆(ちょうしつ)と呼ばれる技法のひとつです。彫漆とは、油を混ぜた漆を何層にも塗り重ねていくことによってできた厚い層を刀で彫り、文様を作り出す技法のひとつです。漆は本来、乾燥すると非常に堅くなる性質を持っていますが、油を混ぜることによってやわらかさが生まれるため刀などで文様を彫ることができるようになるのです。
「堆」かさねる、「朱」しゅ。呼んで字のごとく、土台となる木の板に朱色の漆を何層にも塗っていき、彫りを入れる。という作業工程ですが、この塗りの作業のときに厚く塗りすぎると乾燥の際にひびやしわができてしまうため、薄く塗らなくてはいけません。そのため、ベースを作成するだけでも1年近く掛かってしまいます。
堆朱の歴史
漆を重ねて層になったものに彫刻が施されている工芸品は、中国の唐の時代にはすでに存在していました。唐代、元代初期に作られたものは、現代のものと比べると薄く作られています。その後も堆朱の技術は明代、清代と受け継がれていきます。
特に目まぐるしい発展が見られたのが明代の頃で、この時代は皇室が監督して製作が行われておりました。この頃のものは、暗い色で模様が太めの線で描かれており、モチーフは長寿が象徴の福禄寿や富の象徴である牡丹などが多かったそうです。
清代では、主に皇室で使われるようになり、特徴も明代のときと変わり明るめの色で作られ、模様も細かい線で描かれるようになり、モチーフも龍と鳳凰、太陽を追う龍といった風に変化していきました。
日本への伝来
堆朱が日本へと伝わったのは鎌倉時代、仏教伝来とともに持ち込まれたといわれています。そのため、日本では香炉をのせる香盆や香合などの仏具が多く中国から伝えられています。
そんな堆朱を日本で始めて製作したのは「堆朱楊成」といわれています。本家大本の中国の名工とも負けず劣らずといわれ、中国元代の名工である「張成」と「楊茂」から一字ずつとり、楊成と名乗るようになります。
南北朝時代から受け継がれていき、現代は二十一代となっております。代が経ってもその技術力は確かであり、日本の文化の継承の一翼を担っています。
もともとは湿気や腐敗しないためのものであった漆。それを芸術品として昇華させてしまえた技術の高さに脱帽です。ひとつの作品が完成するまでに膨大な時間を費やしひとつひとつ手作業で作られたと考えると感慨深くなるものです。皆さんも堆朱を見る機会がありましたら、それが完成するまでの年月も考えながら見てみると、いつもとは違って見えるかもしれませんね。
さいごに
堆朱の魅力はお分かりいただけたでしょうか。私達八光堂は骨董品・中国美術などにも力を入れております。少しでも気になる商品がございましたらお気軽にお問い合わせ下さいませ。まずはお電話やメールにてご連絡お待ち申し上げております。