平山郁夫の版画を買取致しました!
平山郁夫~平和を祈り続けた画家~
『桜蘭遺跡を行く 月』・・・どこか寂しさが漂いながらも、しかし駱駝(ラクダ)たちは同じ方向に向かって確実に歩みを進めている。
この絵の作者は平山郁夫。一度は聞いたことのある名前ではないでしょうか。シルクロード(上の作品もこのシリーズです)や、故郷の瀬戸田も通る「しまなみ街道」を題材とした絵で高い評価を得ています。特に「シルクロード」シリーズの制作には力を注ぎ、シルクロードと付近の仏蹟の取材は150回を超えています。また多くの文化活動も行っています。こんなにまで郁夫を突き動かすものはなんなのか。激動の中の広島を生き抜いた郁夫の生い立ちと人生から、それに迫ってみましょう。
平山郁夫。1930年(昭和5)6月15日、広島県豊田郡瀬戸田町(現在の尾道市瀬戸田町)の生口島出身の画家です。生口島は歴史的に有名な寺社が多く、山のさわやかな緑色と海の透き通るような青色に囲まれた島。そこで郁夫は多感な少年期を過ごし、画家としての感性を育んでいったのです。国民学校を卒業後、広島市内の私立中学に進学しましたが、世は太平洋戦争真っ只中。郁夫は自ら志願して学徒勤労動員として働いていました。そして1945年8月6日、郁夫は学徒勤労動員として働いていた工場で被爆し、まるで地獄絵図のような広島から生家まで命からがら帰りました。その後、中学を卒業して東京美術学校に入学しました。小林古径や安田靫彦から日本画の指導を受け、卒業後は東京芸術大学に奉職して前田青邨に師事しました。
しかしこの頃から郁夫の体を原爆症が蝕んでいったのです。白血球数が半分以下にまで減少し、常に死への恐怖と対峙する日々を過ごします。そんなある日、郁夫を新聞の小さな記事を目にします。それは、「東京オリンピックの聖火は、シルクロード経由で運んではどうか」というものでした。この記事をきっかけに作品を制作し、院展に出品しました。シルクロードの砂漠のオアシスに辿り着く玄奘三蔵法師を描いた作品であり、上で紹介した「シルクロード」シリーズの原点ともなる『仏教伝来』がそれです。「死ぬまでに1作でいいから平和を祈る作品を残したい」という願いから生まれました。
その後、精力的にシルクロードや付近の仏蹟の取材を行い、多くの作品を制作していきました。そして文化財保護の活動も行っていきます。「歴史の生きた証人である遺跡や文化財を守ることは、平和の象徴にほかならない」と考えてのことでした。
郁夫を突き動かしたもの、それは原爆でなくなった方への鎮魂と平和への祈り。『仏教伝来』の三蔵法師や先に紹介した絵の駱駝たち、これは原爆によってたくさんの友人を亡くし、原爆症に侵されながらも人生を歩み続けた郁夫の人生そのものかもしれません。そして三蔵法師が辿り着いたオアシスや駱駝が目指す先は、郁夫が祈り続けた平和な世界、そうであると私は思います。
さいごに
平山郁夫は広島を、そして日本を代表する作家さんの一人です。全国のオークションハウスで平山郁夫の作品は毎月のように取引されております。お宅に飾れていない平山郁夫作品はございませんか?もし気になる作品がございましたら是非、八光堂をご利用ください。