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田村耕一と鉄絵陶磁器
田村耕一が「鉄絵」陶器の技術で重要無形文化財保持者(通称・人間国宝)に認定されたのは1986年の事です。それまで石黒宗麿・清水卯一が「鉄釉」での認定を受けていましたが、「鉄絵」の認定は初めてでした。
そもそも鉄絵とは酸化鉄を含む顔料で文様を描いたものを指し、別名「錆絵」ともいいます。材料が比較的手に入りやすいため中国で最も古くから制作されている絵付け技法の1つであり、アジアでも広く普及しています。日本では志野焼などに初期の鉄絵がみられるようです。現在では様々な種類の陶磁器に鉄絵が取り入れられています。
田村耕一は1941年に東京美術学校図案科を卒業、大阪の私立南海商業学校のデザイン教師を務めます。この頃から作陶に興味を持ったようです。
翌年に兵役へ出て、復員後の1946年に京都の輸出陶器製作を行っていた松風研究所にデザイナーとして勤めます。ここで出会ったのが後に「色絵磁器」で人間国宝に認定される富本憲吉です。富本は松風研究所で顧問を務めており、直接指導を受けることが出来ました。田村は富本から作陶における精神性や技術を学び、生涯の師と仰ぎます。
退所後は、郷里の栃木県に戻り栃木芸術祭に出品し芸術賞を受賞、審査員でこちらも後に人間国宝になる濱田庄司に認められます。全国的には1956年の現代日本陶芸展覧会に出品した『鉄釉黒釉描野草文皿』がきっかけで知名度が上がり、広く知られるようになりました。
鉄絵で絵付けを行うと黄色や茶褐色・黒色に発色し、酸化鉄の含有量が多いほど黒色に近くなっていきます。どちらかというと渋めの落ち着いた色合いが持ち味です。
この顔料を用いて田村が好んで絵付けしたのは自宅の庭の草花です。デフォルメした葡萄や椿、ホタルブクロなど身近な植物を描いた素朴で味わい深い作品が多くあります。
初期の作品は黒色と黄色の鉄釉を使用していますが、後に青磁に鉄絵を施した作品や銅彩釉で華やかな赤色を出したものなどを制作します。
発表当時は青磁と鉄絵のこれまでにない新しい組み合わせは中々受け入れられず、批判にさらされ苦労したそうですが徐々に認められるようになりました。今では人気作品の1つになっており熱心なファンを獲得しています。