モローのブロンズ像を買取致しました
彫刻家ファミリー モロー
ヨーロッパでは、フランス革命後、時代の建て直しの影響からアカデミックな古典文化の再流行や、工業の合理化に対抗すべく生まれた美術工芸運動アールヌーヴォーなど、新たな芸術文化が次々と花開きました。
これら19世紀から20世紀にかけて移り変わりゆく時代の中で、親子3代彫刻家として各々才能を開花させた一族「モロー」の作品は、当時から現在まで高い人気を誇っています。
今回はそんな彫刻一家モローについてのお話になります。
・父からはじまる彫刻家業
一家の父であるジャン・バティスト・モロー(Jean-Baptiste Moreau)は、18世紀末生まれの著名な彫刻家でした。時期はちょうどフランス革命期以降で、ブルゴーニュ王墓の修繕などを受けたそうです。
25歳頃、長男のマチュラン、10年後に次男イポリット、続いて2年後にオーギュスト、の3人の息子を授かります。この息子らは後に”モローブラザーズ”とも呼ばれ、現在見る作品の多くは主に彼らの作品になります。
更に孫のルイとフランソワの世代も、各々の名で製作活動を引き継いでいきました。
・モローブラザーズ
モロー家兄弟は、皆パリの高等美術学校エコール・デ・ボザール出身で、当時大変注目を浴びていたパリ万博においても皆様々な受賞歴を残しました。
長男マチュラン・モロー(Mathurin Moreau)は、中でも古典的・アカデミックな作風を主体とした大型作品を多数制作し、万博では多くの賞を受賞しました。彼の作品はパリのオルセー美術館、ルーブル美術館、オペラ座等で今も見る事が出来ます。更には名誉としてパリ19区に通り名を授けられ、現在も通り名そのままに”マチュランモロー通り”が残っています。
次男イポリット・フランソワ・モロー(Hippolyte Francois Moreau)は、父の工房ではじめに働き始めました。どちらかというと”生産”に向いた作品が主で、中規模サイズの像や花瓶等を主に制作しました。作風は18世紀の影響を受け、子供や若い女性、狩りのシーンなどのモチーフが多く、現在では故郷地域のディジョン美術館に多数所蔵されています。また、パリ市庁舎のファサードにも彫刻を施したものがあります。
三男オーギュスト・モロー(Auguste Moreau)も、次男同様”生産”向けの作品が主で、若く瑞々しい男女、動植物、キューピッドや子供などをモチーフにした作品を制作しました。
彼らモロー家の彫刻作品は、当時から上流階級を始めとした層に人気を博し、各々がアールヌーヴォーを代表する彫刻家となりました。その人気需要に答えるべく生産をよりビジネス化させていく事にも長けていき、孫の代、オーギュストの息子ルイやイポリットの息子フランソワへと引き継がれていきました。
さいごに
皆確かな腕で彫刻家として活躍し、一家のビジネスとして営んだモロー家作品は、現在でも西洋アンティークジャンルにおいてアールヌーヴォー時代の優美な魅力を堪能できる美しい作品として国内外問わず人気があります。
当時からビジネスとして生産性に長けさせた分、完全なオリジナルの彫刻に出会う事はまず稀な為、今出会えるものは当時生産された複製品や、また全くの模造品もあるような状況です。また、当時の家族内生産でもブロンズ作品を基に新たにかたどり別素材で作る事すらあるだけに、見極めが難しい物もあります。
モロー作品をお手持ちの際は、是非お気軽に八光堂にご相談ください。