ビスクドールのご売却なら八光堂へ
ビスクドールについて
今回はビスクドールについてご紹介いたします。
多くの女性の方はおそらく幼いころにお人形遊びをされた事があると思います。
それは、19世紀ヨーロッパの貴族令嬢も同じで、彼女たちは陶器で作られた人形「ビスクドール」で着せ替えやおままごとで遊んでいました。
「ビスク」とは、お菓子のビスケットと同じ語源で、フランス語で二度焼きを意味します。当然、小麦粉で作られているわけではなく、陶器で作られています。
この陶器の色合いが、何物にも代えがたい乳白色を生み出しています。
19世紀にはこのビスクドール専門の工房が存在し、有名どころではブリュやジュモーなどがあげられます。日本にも工房が存在し、ノリタケから製造されました。
余談ですが、私の友人に大変な人形愛好家(男性)がおり、彼が言うには「人形愛好家はドライとウェットに分かれている。僕はウェットだ」とおっしゃっていました。
ドライとウェットとは何ぞや?と思い訊いてみると、どうも人形の愛好度のようなものらしく、単純に着せ替えて遊び楽しみ、愛好されている方はドライというそうです。
ではウェットはというと、人形に魂が宿っていると考え、人間同様、人形とも会話を楽しむほどより深く人形を愛されている方をウェットというそうです。
この話を聞いて、私個人としては無いこともない話だと思いました。
というのも、人形は古代より人間の依り代としてまじないや儀式に使用されています。(日本のひな人形も災い、障りを人形に移すという名目で始まったそうです。)
つまり、人間のマイナスイメージ。それに伴うストレスを代替して受け取る形でヒトガタ=人形が存在しているということです。
また、古代エジプト文明ではピラミッドの中にファラオ以外にも万人の像やなどが設置されており、古代中国の秦の始皇帝陵には兵馬俑が設置されていることも有名な話です。
当然、日本も古代においては埴輪など人を模した物が古墳に埋蔵されています。
そうすることで、死後その人が不自由しないよう、さびしくないようにするという目的で人形が作成されました。資料はないのであくまでも推測ですが、人形に対して残された人が思念を送る儀式などが行われていたのかも知れません。
そのため、人形は人間にとって自身の内的存在を投影させやすいものであり、同時にもう一人の自身であるという視点を当てることができます。
この自身は必ずしも現在の我々が知覚している自身である必要はなく、そこには性別や価値観などといった表象的な概念が排除されたあまりにも純粋な存在が投影されることでしょう。
そのため、ウェットと呼ばれる方々はもう一人の自分、もっと言えば表象、肉体を超えある種イデア的なその人自身との共有が行われているのかもしれません。
そうであれば、ウェットの方が人形に魂が宿ると考えられていても不思議ではないでしょう。
さいごに
ビスクドールの中でも特にブリュ、ジュモーは人気があり、お目にかかる機会は我々でもそうそうございません。
ビスクドールをお持ちで、価値をお知りになりたい方は是非八光堂へお願いいたします。
鑑定士一同、丁寧に鑑定させて頂きます。