林喜市郎と民家
林喜市郎について
皆さん民家を描く画家と言われれば、向井潤吉を思い描くかもしれません。私もそうでした。
今回お話したいのは彼ではなく向井潤吉同様全国を行脚し、民家を描き続けた画家・林喜市郎についてお話したいと思います。
1919年に千葉県野田市に生まれた林喜市郎は、20代の頃戦争へ出征されます。第二次世界大戦の終戦とともにソ連によってシベリアに労働力として移送隔離され、抑留されるも敗戦と共に帰国します。その後、季節を感じさせる日本の原風景、茅葺きの民家を描き続け民家を通して自然と生きる大切さを伝える芸術を世に送り続けたのです。
・日本人と茅葺き屋根
現在では茅葺き屋根の民家というものは随分少なくなってきました。その歴史は古く、弥生時代にみられる竪穴式住居などの再現は茅葺きでなされているものがほとんどです。農村の民家に使われているのは勿論、茅葺き屋根は神社建築にも使われていました。
日本建築の源流をたどっていくと、古くから脈々と受け継がれてきたものがあります。
山や川、石や草などに神が宿ると信じてきました。その心の習慣や精神性が日本建築には宿っているのかもしれません。土着的な進行から長きにわたる時代の変化と共に幅広く広がっていき、その土地の気候、風土、慣習により変化していったのです。
様々な背景からも、日本の長い歴史が自然ととても近い生活をしていたことがわかります。江戸時代は究極のエコロジー生活と言う話もあります。もしかしたら歴史の上で日本人がもっとも自然に近かった時代のあり方をとどめているのが、茅葺きの民家かもしれません。
・郷愁の民家
林喜市郎は茅葺き屋根を描き始めた明確な決心があったわけではないようです。ある日知り合いの農家の人が写真を持って来られ、記念に残しておきたいので描いてくださいと頼まれ描き始めたようです。描いた絵を大層気に入られ、それから依頼が増えていったそうです。
そんな中で、林喜市郎は茅葺き屋根の重厚感と見事な曲線に魅了され、軒下に置かれた雑多な農耕用具などの「生きている家」としての存在感に感動し衝撃を受けたと語っています。その言葉通り彼の作品は生きているようにその季節感、空気感を漂わせているようです。
茅葺きの地域独特の曲線、そこに生える美しい苔、周りの草花、ある作品は春の芽吹きが現れ、ある作品は冬の冷たく枯れた木々、冷たい空気感を表しています。そして、どの作品も共通して郷愁を感じさせます。
単なる風景がではなく、長く受け継がれた日本人の遺伝子の中にあるアニミズム信仰、自然と共に生きることの大切さが林喜市郎の作品から受けているのかもしれません。
・民家を描き続けて
林喜市郎の写生旅行は1ヶ所に10日間位滞在し、1軒の農家や部落をいろんな角度から眺めて、数点の作品に描き上げることもあるそうです。
道中に気に入った民家を見つけると立ち止まりスケッチをする。春の作品には、伸びやかな筆使いが春の息吹を感じさせます。
想像してみてください、春の日光の暖かさ、芽吹く草木の匂い、花々は柔らかく咲き誇り、その中に建つ美しい民家。林喜市郎の春の作品を見ていると、その情景や香り、暖かさなどを感じます。草木や花木があっても、主体はあくまで民家、周りの情景が引き立てています。
林喜市郎は民家を書き始めたころ八王子の旧家を写生する機会に恵まれます。実際に見た感動のあまりその感動がそのまま100号の大作となったのです。
作者の感動があふれ出す、林喜市郎の作品をぜひ一度目にしてみてはいかがですか?