加賀藩御用釜師・宮﨑寒雉
今もなお多くの名品を残し続ける職人 宮﨑寒雉
茶道を嗜んでいる方であれば、宮﨑寒雉という名にピンとくるかと思います。
350年以上に渡り、茶人に愛される釜を作り続けている宮﨑寒雉。
形・色共にすっきりとした風合いを伝承し続ける宮﨑寒雉の茶道具をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
本日は裏千家の釜師として家伝の技を伝承し続ける宮﨑寒雉についてご説明しようと思います。
・宮﨑家の始まり
宮﨑家は江戸時代から加賀藩の御用釜師として今なお続く、金沢の釜師の家です。
元々は代々鋳物業を営んでおり、天正九年に当時能登の国主だった加賀藩初代藩主・前田利家に召し出されます。
宮﨑彦九郎の次男である義一は、京都に上がり、大西浄清のもと(師とされる人物には諸説あります)で釜作を学び、とても高い評判を得ます。
そこに目をつけたのが、前田利常です。小松城造営の時に利常に召され金沢に戻った義一は、茶道奉行として京都から迎えられた千利休から四代目となる仙叟宗室に師事を仰ぎ藩御用釜師となります。
その後、義一は仙叟より寒雉菴号の名を受け湯釜の創始者となり、侘びの趣の強い釜をいくつも作り出し、多数の名品を作り出して行きました。
宮﨑家は子孫が代々その名を受け継ぎ、茶道釜師として日々新しい作品を生み出し続けているのです。
・かの有名なおにぎりの形をした焼飯釜
初代寒雉の代表作に「焼飯釜」と呼ばれる作品があります。
このお釜、胴体はおにぎりの形をしており、鐶付の一方は松茸、もう一方が松葉の形をしています。この釜にはこんなエピソードがあるのです。
その昔ある秋の日の事、初代寒雉は仙叟と一緒に山へきのこ狩りに出かけました。
きのこは中々見つからず、二人は仕方なく昼食を取る事に。
さぁ食べようかなと取り出した途端、仙叟はうっかりおにぎりを崖下に落っことしてしまいました。
そんな出来事からしばらく経った頃、寒雉は仙叟に一つの釜を持ってやってきました。
「あの時のにぎり飯が見つかりましたよ、山を転がった時にどうやらきのこがくっついてきたみたいです!」
なんとも洒落た面白いお話ですね
現在、金沢市彦三町では工房の見学が出来ます。
なんと14代ご自身がパワーポイントを使って湯釜の制作方法や、その昔能登で塩釜をリースしていた時の話など興味深いお話が伺えるそうです。
茶室「寒雉庵」の炉には先出の「焼飯釜」が吊るされているそうで、それだけでも足を運ぶ価値がありますね。
今話題の金沢へ足を運ぶ際には一度尋ねてみては如何でしょうか。
さいごに
先日八光堂では宮﨑寒雉の釜を買い取らせて頂きました。
ご家族で大事にされていたようですが、お茶をする事もなくなったしまったと言う事でこの度縁あって弊社にお譲りいただきました。
宮﨑寒雉の特徴であるすっきりとしたボディ、そしてなんと言ってもこの洗練されたタッチと色。
代々の寒雉が受け継いできた伝統を大切にしつつ、モダンな雰囲気を醸し出す悠揚たる釜ですね。
趣があり美しく、侘びを感じさせる寒雉の職人技が光っており、伝承技術の高さを窺わせます。
流石、常に進化を遂げる窯元として抜群の人気を博しているのも頷けます。
今後も寒雉が生み出すモダンな造形力と、他には類を見ないこの伝統的なアプローチとの融合からは目が離せません。とても感慨深いです。
このように譲り先を探しているお品がございましたら、是非八光堂までお問い合わせください。
お待ちしております。