河井寛次郎~暮らしが仕事~
河井寛次郎について
「暮らしが仕事 仕事が暮らし」
こんな言葉をご存知でしょうか?
この言葉を遺したのは河井寛次郎という陶芸家です。
明治から昭和まで生涯にわたり作品を制作し続け、近代陶芸家を代表する一人となった人物です。
寛次郎の作品は大きく分けて3つに分類できます。
中国古陶磁に憧れ手本とした初期(大正時代)、民芸運動で日常使いの食器に美を見出し「用の美」を求めた中期(戦前、昭和時代)。
その後、第二次大戦中は灯火管制により窯に火が入れられず、一切の作陶が出来なくなりました。戦争が終わると、戦中に抑えていた創作意欲を一気に発散させるように、独創的でエネルギッシュな作品を次々と世に生み出した後期(戦後、昭和時代)。さらに後期には、木彫や金属作品をも生み出しています。
寛次郎の創作意欲や探究心は生涯尽きることはありませんでした。
寛次郎作品は時期によって本当に同じ人が作ったのか疑問に思うほどに変化していきます。
自分の理想とする“美”を追求しつづけ、常識や枠にとらわれず新しいカタチ・表現方法を模索し続けた結果が、様式の変化に繋がっていきました。
そこには表現の方法は大きく変わっても、むしろ一貫して“美”を追い求める寛次郎のひたむきな姿勢が現れています。
「暮らしが仕事 仕事が暮らし」と言った河井寛次郎という人にとっては、モノを作ることは特別なことではなかったのかもしれません。
仕事である物作りは寛次郎の日々の暮らしの中、生活の一部に溶け込み無くてはならないものになっていました。
そしてこの言葉には毎日の暮らしの中にあるもの・日々の暮らしそのものから美は生まれるという意味が込められているのではないでしょうか。
何でもないものや、特別ではなく普通であることを大切にしていた寛次郎は、文化勲章や人間国宝の推挙すら辞退してしまいます。作品も自分自身も肩書きに捉われたくないとの思いからだったようです。
特に作品に関しては作家の名前ではなく作品自体を判断して欲しいとの考えから、民藝運動を始めた頃から無銘無落款を通します。
自身も無位無冠の陶工として、有名であっても驕らず一陶芸家に終始しました。