中国と仏像~仏教のはじまり~
仏像について
今日は八光堂横浜本店から朝倉がお送りします。
皆さん、横浜と聞いてイメージするもの・・・港、舶来、やはり中華街のイメージが強いのではないでしょうか。
そしてその中国といえば、仏教・仏像が盛んなイメージがありますよね。
日本でも馴染みの深い仏教・仏像ははるか昔から存在していたかのように思われがちですが、実は中国で仏教が定着するまでに長い年月がかかったということはあまり知られていません。
一体、どのくらいの時間がかかったのか?
仏教が中国に定着するまでにかかった時間はなんと400年。果てしない時間ですね。
何故そんなにも定着するまでに時間がかかったのでしょうか。その歴史の謎を紐解いていこうと思います。
まず、仏教が中国に入ってきたのは紀元前前後だといわれています。
仏教が中国に入ってくる前、中国にはもともと儒教・道教と呼ばれる宗教が存在しており、それらはすでに国教的地位として確立されていました。
当然、仏教は西の方からやってきた新しい神様となるため、民衆の中に浸透するのにも時間がかかってしまうのは必然ですね。さらには、最初は今の中国での仏教とは違う形で広まっていったのでした。
現在の中国での仏教の捉え方は、“死後の世界で救われる”といったような考え方ですが、中国に渡ってきた当初は、死後ではなく今生でご利益・恩恵が受けられるという捉え方で広まっていました。またあるときには、生活師範を定めるルールのような見方をされている時代もありました。
5世紀のはじめに鳩摩羅什(くまらじゅう)という人物、皆さんにとっては三蔵法師と呼んだほうが馴染みがあるかと思います。その人物によって仏教経典が正しく訳されたことにより、人々に定着していったといわれています。
さらには、4人の皇帝たちによる三武一宗の法難と呼ばれる仏教の弾圧や、仏像の破壊行為などが行われていた時代もあり、それによって仏教の普及が遅れてしまったという要因もあります。
長い年月をかけて中国全土に広まった仏教ですが、色々な要因により、当時の中国の仏像は多くは残っていません。ですが、廃仏令によって埋められた仏像が最近発見されたりなどしています。数が少ないとはいえ、中国は領土が広いのでまだまだ隠された仏像が発見される可能性はありますね。
もちろん、数が少ないということは希少性が高く、また歴史的・美術的評価も高くなるため、そういった仏像は高値で取引されるようになります。
さいごに