甲冑の移り変わり~やっぱり甲冑はかっちゅいーなぁ~
甲冑について
博多は雨です。
こんな日はおうちに籠もってしまいがちですよね。寒いからか雨粒も余計に冷たく感じますし・・・。
今全国的にインフルエンザが流行っているので、この湿気でインフルエンザウイルスが激減することを祈ります。みなさんも体調には気をつけてくださいね。
さて、そんな中甲冑についてお話させていただきます。
甲冑・・・戦国時代は男心をくすぐるアイテムや物語が多く、浪漫溢れる時代ですよね。昨今では女性にも響いて「歴女」なんて呼ばれる歴史好きな方も少なくありません。
甲冑の歴史はとても長く、出土した記録でも弥生時代にまで遡ります。
みなさんが想像される甲冑といえば、戦国武将が身に着けていたものだと思いますが、太平の世に至るまでにさまざまな形の甲冑が作られています。また、甲冑を見れば、その時代にどんな戦いをしていたかを知ることができるのです。
タイムスリップした気分で各時代の甲冑を見ていきましょう。
甲冑の歴史 弥生~古墳
日本の甲冑の歴史は弥生時代からと言われています。それ以前にもあったかもしれませんが、書記の記述にとどまる程度で出土は確認されていません。
弥生時代の甲冑はもっぱら木でできたものでした。既に鉄も使われていましたが、鉄の貴重性、製鉄技術の難しさから甲冑にまで鉄は使われていなかったようです。
しかしそもそもなぜ、甲冑というものが生まれたのでしょうか。それは稲作が始まったからだといわれています。弥生人が米を作るにあたり、どうしても米がよく獲れる地域とそうでない地域に分かれてしまいました。そうすると必ず起こるのが争いです。それぞれの村が自衛のため、あるいは侵略のために武器を作り、それに伴って甲冑が出現したようです。
人々の生活を豊かにするための稲作が、かえって争いを起こすことになるのは何とも皮肉な話です。
古墳時代になると、これまでの木製甲冑をベースに次第に鉄製甲冑が出現してきました。ただし、以前として鉄は貴重であり、権力者が埋葬されるときにお守りのような形で古墳に納められたようです。
甲冑の歴史 平安~戦国時代
平安時代になると、戦いは騎馬戦による弓矢の打ち合いになってきました。そこで作られたものが「大鎧」です。大河ドラマ「義経」でタッキーこと滝沢秀明さん演じる源義経が身につけていた赤いあの鎧ですね!
大鎧の特徴として、鎧が平面状に体を覆うように作られているということです。これで弓矢の攻撃を弾いたということです。
「大」鎧と呼ばれるだけあって、重さはなんと完全武装の状態で37kgもあったようです。当時の平均身長は当然現在より低いですので、相当な体力が必要であったことが窺い知れます。
平安後期から室町にかけて、戦い方が集団での歩兵戦に変わり、重い大鎧が必要とされなくなってきました。そこで普及していったものが胴丸や腹巻です。しかし、大鎧は最も格式高いとされ、名のある武将たちは好んで着用することがあったようです。
個性が光る甲冑
それではここで、私の一押しの甲冑を説明致します。
1枚目の甲冑は六連銭が描かれていますので、真田幸村の甲冑です。昨年2016年には堺雅人さん主演で放送された大河ドラマ「真田丸」で有名な甲冑でもありますね。非常に迫力のある甲冑です。
ちなみに六連銭は三途の川の渡し賃で、棺の中に入れられるようです。これは仏に身を捧げ、命を惜しまないという意味合いがあります。この甲冑で、そんな意気込みで来られると私ならすぐに逃げ出してしまいます。
また、甲冑を彩っている朱の色は、もともとは武田家の騎馬軍が甲冑を朱色で統一したのが始まりで、「赤備え(あかぞなえ)」と呼ばれていました。武田家が滅亡後は徳川四天王の一人である酒井直政と、今回ご紹介した武田家の旧臣である真田幸村へと引き継がれました。
ちなみに、赤備えは徳川家康を破った武田騎馬隊、小牧長久手の戦いで奮戦をした井伊直政隊、そして圧倒的戦力差で戦いを挑んだ真田幸村隊と、鬼神のごとく戦った部隊が着装していた為、「赤備え隊=精鋭部隊または最強部隊」というイメージが定着しました。
さいごに