鉄釉陶器・清水卯一
清水卯一について
こんにちは。
八光堂名古屋本店鑑定士の大橋です。
今名古屋では、バレンタイン時期に合わせて「ハートバス」の運行が始まりました。
このハートバス、つり革がハートになっているんです。
ただ、名古屋市を走り回る市バスのうちたった2両しかないそうで・・・出会えるのはなかなかむずかしいかもしれません。
もし掴めたら、すごいラッキーですね!
さて、今回は人間国宝の「清水卯一」をご紹介したいと思います。
清水卯一は、1926年京都生まれの陶芸家です。
14歳で石黒宗麿(いしぐろむねまろ)に師事し、翌年京都市の国立陶磁器試験所に伝習生として入所し、17歳で京都市立工業試験所窯業部助手となり、陶芸の研鑽に励みました。
戦後、宇野三吾を中心に結成された前衛を目指す四耕会に参加、さらに緑陶会を結成すると、清水六和・森野嘉光らとともに京都陶芸家クラブを結成する傍ら、この間に様々な展覧会で受賞を重ね、才能を発揮していきます。
また海外での評価も高く、日本を代表する陶芸家として知られる存在になりました。
1985年には、「鉄釉陶器」の技術により「重要無形文化財保持者」に認定されますが、2004年、惜しまれつつ78歳でこの世を去りました。
清水卯一は、現代陶芸家の中で最も多くの受賞歴を持った作家の一人です。
卯一の青磁には、光に当てると宝石のように輝く、亀甲貫入の入ったシャープなフォルムの青磁茶碗があります。
「青磁釉」もその中の一つで、釉の中で科学反応をおこし緑色を帯びます。
釉薬の世界は、まさに無機物の「化学反応の宝石箱」です。
また信じがたいほど薄手に作られ、その薄さに驚嘆する蓬莱鉄耀茶碗などは、現代陶芸家の中でも最も技術的にすぐれた作家であることを感じさせます。
卯一は京都から滋賀県志賀町に移り住み、そこで「蓬莱窯」を築き、以降この蓬莱山の土を活かして、青白磁に近い蓬莱磁・鉄燿といった作品を生み出していきました。
土から釉薬まで、すべて蓬莱近辺で採れた原料を用いた作品には、「蓬莱燿」「蓬莱磁」「黄蓬莱」など、“蓬莱”と名付けた作品名を好んで使用しています。
卯一は人間国宝に認定された頃から、鉄耀花器の上に、たっぷりとした白い釉薬を掛け文字を描く作品を数多く制作しました。
卯一の書く、作品の中の文字や箱書きの文字は、どちらかというとお世辞にも上手な筆使いとは言えません。
ですが、技術的に最高水準まで到達した卯一の作品に、子供が書いたようなミスマッチな箱書きの文字というコントラストもまた作品に深みを与えているのかもしれません。
かつて鉄釉で人間国宝に認定された陶芸家が3人います。
それは、石黒宗麿と清水卯一と原清です。
これら3人は師弟関係にあり、日本工芸会の中でも極めて狭い範囲で人間国宝が認定されていることになります。鉄釉とはそれだけ狭く難しい技法なのでしょう。
さいごに