山男・畦地梅太郎
畦地梅太郎について
私事ですが、アウトドアの趣味から、最近は登山へと興味がわいてきました。
静かな朝早くの澄んだ空気の中、一人黙々と山の中を歩んで行きます。足に感じる柔らかな土の感触や草木の匂い、2000メートルの山を越えるとそこは日常とはかけ離れた厳しくも美しい世界が広がっています。
素人の私は登山を始めるにあたり、本屋で登山情報誌をよく読んでいました。そんないくつもの雑誌のひとつに「岳人」という雑誌があります。登山をされる方なら一度は見たことがあるのではないでしょうか。
多くの山を愛する人々に読まれている雑誌「岳人」の表紙を飾る芸術家が、今回お話する畦地梅太郎です。その作品はモダンで抽象的で、代表作の「山男」シリーズは畦地本人も山に魅せられてしまった“山男”ならではの作品といえるでしょう。
畦地は、1902年に愛媛県北宇和郡二名村に生まれます。
16歳の頃に故郷を出て上京、道中大阪で兄に勧められ中国航路の貨物船で働きます。その後ようやく上京し、新聞配達などの仕事をしながら英語学校に通います。20歳の歳に画家になる事を志し、通信教育を受け始めました。
畦地が版画と出合うのはその後、内閣印刷局に勤務をし始めてのことです。仕事の合間に余った鉛版による版画作品を試みていた畦地は、この版画を棟方志功など様々な版画家を育てた平塚運一に見せたところ、高く評価されます。それがきっかけとなり指導を受けるとともに版画への道を辿っていくことになるのです。
畦地が生まれ育ったのは愛媛県の南の山の中でした。家の裏には林が続き、幼少の頃から生活の一部として山があったそうです。山をテーマにした作風は、幼い頃より自然と触れ合う生活を送っていたからこその作風なのでしょう。
町での生活から抜け出し、周りに広がるのは普段の生活では忘れてしまっている季節などの時間の流れでした。
飽きることの無い風景、そして、自然の中に身を投じる事によって向かい合う自分自身との対話。畦地は「自分の得た人生経験以外のものは、どうも発言することは苦手である。」と語り、その言葉通り、彼の作品を見ただけで“ああそうか”と納得させられるような、自然を感じる作品作りを行っていたのでした。
さいごに