日本画の枠組みを超えた作家・杉山寧
杉山寧について
皆様こんにちは。八光堂鑑定士の酒本です。
私は、毎日少し長い並木道を通って駅へと向かうのですが、寒くなるにつれ、青々と茂っていた並木道も枯葉が落ちて、今ではすっかり枝だけになりました。
以前とは趣の異なる清楚で凛とした表情を楽しみながら、毎日駅へと向かっております。
これからも季節が変わっていくごとに、様々な景色を楽しみ、そして美しさを感じながら日々を過ごしていきたいものですね♪
さて、今回は杉山寧についてお話ししようかと思います。
杉山寧は1909年に東京浅草に生まれ、1928年東京美術学校に入学、若いころから卓越した才能を持ち、在学中に帝展で特選の評価を得ました。
学校を首席で卒業した後、師である松岡映丘の下で学び、松岡映丘の助言もあって若い画家たちと「瑠爽画社(るそうがしゃ)」を結成し、のちに山本丘人や高山辰雄が入会しました。
瑠爽画社では主にフォルムを的確に捉える写生に重視し、北宗や南宗などの宋元画の写生にも深く学びました。
杉山の圧倒的な写実力はこの時に培われたのでしょう。
ただ、杉山は重い病気を抱え長い期間療養を余儀なくされます。
しかし、その療養の期間中に、あの杉山特有の凛とした表現が生まれたのかもしれません。
その長い沈黙を破り1951年にギリシャ神話を題材に「エウロペ」を出品し、日本画の新たな革新へと導きました。
1960年頃からは抽象的表現が強くなってきています。1959年の第二回の日展の「仮象」は大きな分岐点とも言えるでしょう。
幻想的であり、なおかつ現実的な杉山の描写は、実在を越える存在感を放ち、伝統的な日本画を一新し、たくさんの画家たちに影響を与えた存在になりました。
そんな杉山が残した言葉があります。
“絵画は決して実在するものの再表現ではない
実在するもの以上の生命感をもって訴えかけるものが
創作できなかったら描く行為の意味は空しい”
作品を出品したあとも、何度も加筆を加え、完璧を目指した杉山ならではの言葉だと言えるでしょう。
さいごに