孤高の日本画家・龝月明
龝月明について
皆様は龝月明(あきづきあきら)という日本画家をご存知でしょうか?
水墨の濃淡を活かした独特の世界観を表現し、美術界からの評価も非常に高い画家の一人です。
彼の作品には観音や菩薩像、野仏などの仏画が多いのですが、一般的な仏画の持つ荘厳なイメージではなく、どこか身近にあるような長閑で優しい雰囲気の作品が多く描かれています。
今日は孤高の画家と呼ばれ、己の道を飽くなき追求した一人の日本画家を紹介します。
龝月明の生涯
龝月明は、1929年(昭和4年)に和歌山県の高野山に生まれました。
幼少期は愛媛県の東予市で育ち、大学は京都市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)に入学を果たしています。
入学してからは洋画と日本画の両方を学びました。どうやら特に決めたテーマを持ってはいなかったようで、学べるうちになんでも学んでおこう、という感じだったようです。
日本の伝統を踏まえるのか、それとも新しい世になってから入ってきた油絵にするのか・・・。若き龝月明は人生の岐路に立たされます。
そんな中に龝月明はとある画集に出会います。それは彼が人生の転機とも言える作品と出会う、清朝中期代の画家・金農(きんのう-Jin Nong)の画集でした。
龝月明の作品
清時代の画家である金農と出会った彼は、墨による作風へとシフトしていきました。
また、彼はあまり他の画家とはつるんだりしなかったようで、自分のしたいように、自由に人生を過ごしていた為、「孤高の画家」とも呼ばれていました。
そんな彼が得意の一つとしていたのが、仏を題材にしたものでした。
一見、仏画とは言いがたくまるで昔話に出てくる仏様のようです。
彼の描く仏画は、いずれもこれまでの荘厳な菩薩や仏ではなく、優しく穏やかな様を濃淡で表現しています。
このような世界観こそが彼の生み出した独特の作風なのです。
龝月明と金農
中国清代の乾隆(けんりゅう)年間(1736~95)に江蘇(こうそ)省揚州で活躍した8人を「揚州八怪」と称し、その時代を代表する画家達として個性的な面々が連ねました。
その中の一人である金農は、詩・書・画のいずれも優れた作品を残した人物であり、また官職につくことを望まず、一生を市井の画人として活躍しました。
龝月明は金農の作品もさることながら、そのような生き方にも感銘を受けたのではないかと言われています。なぜなら、金農に出会って以降の彼の歩みを見ると、どの画壇・グループなどにも属することなく、先ほどご紹介した通り“孤高の画人”として作画に打ち込んできたからです。
作品発表も官を嫌った金農のように、日展などへの応募には参加せず、もっぱら個展によって行われています。
金農からの影響は作品にも強く残されており、それ以降は水墨画のみによる作画に没頭していきます。
龝月明の晩年
最後に近年、彼自身が語った言葉を紹介しておきます。
「平凡なものに無限の味を覚えるようになった・・」
日常の中で見る何気ないものを通して対象物への深みを自らの世界で作り上げることができるようになった、と語っています。
さて、龝月明ですが、現在も様々な場所で展覧会なども積極的に行っており、まだまだ現役として日本画界をリードし続けています。
今後も彼の作品は注目を集めることでしょう。
さいごに
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