お茶とお寺の密接な関係
お茶とお寺の関係
満開に咲いた桜を見ながら、お寺で優雅にお菓子とお抹茶をいただく・・・なんとも風流ですね。
美しい景色とともにおいしいお茶をいただくひと時はまた格別でしょう。特に京都へ旅行に行った際などは是非体験してみたくなりますよね。
こう連想されるように、実はお寺と茶道には密接な関係があるんです。
お茶の伝来
日本でお茶が広まった時期は明確にはっきりとはわかっていませんが、奈良時代にはお茶の苗木が植えられ、平安時代の貴族の間にはお茶が広まっていたといわれています。これには、天台宗開祖の最澄、真言宗開祖の空海、臨済宗開祖の栄西など中国に渡った僧侶が大きく関係していたようです。
その当時のお茶は貴重で、二日酔いに苦しむ源実朝に献上して大いに喜ばれたことなどから、貴族や上級の武士、禅の修行に励む僧の眠気防止のために用いられていました。
その後、栄西からお茶の苗木を贈られた京都・高山寺の明恵(みょうえ)上人がお茶を栽培し、そこから一般の人たちにもお茶が広がり、さらに宇治でお茶の栽培を行ったことから大量にお茶が栽培されるようになりました。皆さんもご存知、宇治といったら・・・というくらい有名ですよね。
ちなみに栄西が伝えたお茶の飲み方は、今の抹茶と同じ飲み方だったようです。このようにお茶の伝来にはお寺が大きく関わっていました。
茶道の総本山・大徳寺
さて、京都市北区紫野に大徳寺という大きなお寺があります。茶道を習われている方はご存じの方も多いかもしれません。茶杓などの箱書きや茶掛などの茶道具でよく名前を聞く小林太玄(こばやしたいげん)や立花大亀(たちばなだいき)も大徳寺塔頭の住職でした。
この大徳寺、実はとっても茶道にゆかりがあるお寺なのです。1326年に開山した大徳寺は、戦国時代の末期には千利休の出身地である堺の商人に支えられ、まるで“茶道の本山”のようになっていきます。また豊臣秀吉は、織田信長の葬礼を大徳寺で執り行ったためお寺の勢いは増していきました。
そして、茶の宗匠に限らず、多くの茶人大名達が参禅をし、得度を受けました。
千利休の切腹もこの大徳寺が大きく関係しています。
ある時大徳寺の門の修理に利休が援助しました。そのお礼として、門の上部に利休の木像が設置されたのですが、それに対して豊臣秀吉が激怒。(もともと仲は良くなかったのですが・・・)
「高貴な方が通る門の上に、草履を履いた利休の像を置くとは、草履で高貴な方を踏みつけるのと同じだ!」とあまりにも理不尽な理由で利休に切腹を命じたのです。
このようにエピソードを上げていけばキリがないのですが、お寺と茶道には切っても切れない関係があります。
さいごに