牛島憲之~自然と人工物のコラボレーション~
牛島憲之について
八光堂博多本店鑑定士の武井です。
ようやく春らしい気候になってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私事ではございますが、気分の高揚とは裏腹に花粉で悩まされる季節でもあります。
長年、憂鬱に思いながらも「薬は飲まない!」という無駄なポリシーを掲げて今日も元気に出張買取りにお伺いさせていただきました。
先日熊本県に行ってきましたが、間を空けずにまた熊本へ行ってまいりました。
職業柄、九州各地を往復する機会が多いのですが、熊本は大好きな土地でもあります。
九州自動車道の熊本県一部は、未だ震災の影響で車線規制されている状況です。
ブルーシートで覆われているお宅も多く、震災の爪跡の深さを感じさせられます。
一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
今回はその熊本県出身の洋画家・牛島憲之に関してお話させていただきます。
牛島憲之の画風
1900年(明治33年)に熊本県熊本市に生まれ、裕福な家庭に育ち、幼い頃から画家を目指していたそうです。
岡田三郎助教室に在籍し、荻須高徳、小磯良平などと共に絵画の基礎を学びます。
牛島憲之の特徴は、なんと言っても独特な曲線と色使いにあります。
風景画を得意とした牛島憲之も、戦争という時代の大きな流れによってその作品のテーマは変わっていきます。
戦前期は淡い色彩とやさしい曲線で描かれた風景画が多く、安心感を与える穏やかで緩やかな作風が多くみられました。
ですが、戦後に製作された作品は、可愛らしい曲線とは対照的なガスタンクや工場など、無機質な人工物をメインとした風景画作品へ遷移していきました。
戦災からの復興を描くかのように、静と動が混在する世界感を表現しているのでしょう。
牛島憲之の作品と聞くと、少し影を落とすような風景画を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
晩年にはその功績が認められ文化功労者となり、その翌年には文化勲章も受章しています。
激動の時代を生き抜いた作家の作品には、その時代背景や歩んできた人生までもが反映されているように思います。
作家の足跡を辿りながら、そんな物思いにふけって鑑賞することも楽しみのひとつですね。
さいごに