福田平八郎の絵画を買取いたしました
福田平八郎について
こんにちは!広島本店の田尻です。
ようやく暖かくなってきたと思ったらまた寒くなってきましたね。
冬用コートを手放すタイミングがいつになるのやら・・・。
今回は大分生まれの日本画家・福田平八郎についてお話させていただきます。
家族愛
福田平八郎は、1892年(明治2年)にささやかな文房具店を営んでいた父・馬太郎、母・安の長男として生まれます。弟も誕生するものの3歳の時に亡くなり、以後一人息子として両親から大きな愛を受けながら育ちました。
平八郎の作品には、時折「平八郎」の落款の後に「馬安」や「馬平安」といった印章が使われています。もうお分かりだと思いますが、「馬安」とは両親の名前を並べたものが由来で、「馬平安」は両親の名前の間に自分の名前を入れた印章を使っていたそうです。
両親に愛されて育った福田平八郎。彼もまた両親を愛し、尊敬しあえる福田家の家庭の暖かさが伺えるエピソードですね。
斬新な作風
平八郎は、学業はいまいちでしたが、絵を描くことが好きだったことから上京し、京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)に入学します。この時から秀でた才能を持っており、優秀な成績を修めていたそうです。
若い頃の作風は中国画に影響を受けており、宋や元の時代の画風に大正時代特有の陰影をつけた作品も多く見受けられます。平八郎本人も宋や元の画風に憧れて非常に影響を受けたと語っています。
中国画の画風を取り入れ、当時の流行を追いかけていた作品は次第に平八郎本人の内なる才能を開花させていき、大胆なトリミングやユニークなデザインの作風はある一つの大作を生み出します。
それが『漣』です。
青一色だけで描かれた大胆な色彩と構図は、当時良くも悪くも評判を呼んだそうです。
美術史家で権威のあった田中一松は展覧会評に“やり過ぎではないか”といったような批評を書き残しています。それほどまでに大胆な作品だったのでしょう。
平八郎はこの後も代表作となる作品を82歳(昭和49年)まで描き続けます。
その作品は今現在見てもポップで新しさを感じ取ることの出来る作品ばかりです。
福田平八郎の作品は、大分県をはじめ東京都や京都府など全国のいたるところの美術館に展示してありますので、ご覧になっては如何でしょうか。
さいごに