近代日本画の祖・橋本雅邦
橋本雅邦について
皆さんこんにちは。
八光堂鑑定士の酒本です。
まだまだ寒い時期は続きますが、外を歩いてみると冬枯れの地面から少し新芽が顔を出していました。そこには一点の曇りもない春を連想させ、植物の持つ力強い生命力を感じました。
もしかすると、近いうちに暖かい日を迎えられるかもしれません。
そろそろ菜の花も咲く頃ですし、見て、食べて、春を迎えるのもいいかもしれませんね♪
食べてばかりではいけませんが・・・(笑)
さて、今回は橋本雅邦について書いてみようと思います。
狩野派への入門
江戸時代武蔵国の大藩でもある川越藩に絵師として仕えていた父・橋本養邦の下に産まれた雅邦は、絵師となるのが当たり前かのように自然と父から狩野派の技法を学びます。
雅邦が12歳になると木挽町狩野家に入門しますが、その同時期に狩野芳崖も入門していたため、後にふたりは一生の盟友となり、明治期における日本画の革新に貢献しました。
後進の育成
明治期には出仕していた藩も廃止され、生活自体も困窮した日々が続きましたが、アーネスト・フェノロサや岡倉天心の下、芳崖と共に東京美術学校の設立に努めました。
しかし、芳崖は設立するあと一歩のところで逝去してしまいます。それにより、雅邦は芳崖の意志を継ぎ、芳崖が担当するはずであった絵画科の教授を務めることとなります。その絵画科では、横山大観や川合玉堂、菱田春草、下村観山など、後の日本画壇に多大な影響を与える作家たちを育成・指導しました。
雅邦の作風
雅邦の作風は、日本画の伝統的な描線をしっかりと描き、その描線の奥には遠近法を用いるなど、洋画の技法を取り入れています。
洋画の技法について当時は「朦朧体」と批判され苦心する大観たちに、革新性だけではなく日本画の伝統をしっかりと残しつつ、新たな日本画へと導こうとする雅邦の想いが感じられます。
雅邦の作品は何度かお会いしておりますが、見るたびに繊細な空気感や深い陰影、色彩にいつも魅入ってしまいます。
まさに近代日本画の革新へと導いた雅邦ならではの作風といえるでしょう。
さいごに