異色の経歴を持つ画家・山本彪一
山本彪一について
突然ですが、皆様は画家やアーティストの方にどのようなイメージをお持ちでしょうか?
私は個人的にですが、早い段階から専門的な知識や技術を誰かに教えを乞い、自分の作風などを確立させていくものだというイメージがあります。また、実際そういう方が多いとも思います。
近年の日本画壇の場合は、中学や高校では美術部などに入り、大学は芸術大学や美術大学に入学し、そこから芸術家として大きく羽ばたこうとするのが一般的でしょう。
しかし、山本彪一という画家は少し違った経歴を持っています。
今回はそんな山本彪一についてお話しさせて頂きます。
絵に興味があった幼少期
山本彪一(やまもとひょういち)は1912年に栃木県で生まれました。
幼いころから絵や美術的なことに興味があったようですが、そこはあくまでも自身の楽しみとしての範疇でした。特に誰かに師事するわけでも、専門的なことを学んでいたわけでもありません。どうやら学生時代は勉学を優先して考えていたようです。
そんな甲斐あってか、大学は早稲田大学の商学部に進みます。そこでも勉学に励んだ山本氏ですが、卒業するにあたり、真剣に自分の将来について考えたのでしょう。自分の心にあった、画家としての夢を目指すことを決心します。
画家として生きていく
大学卒業と同時に本格的に絵画を学ぶべく、猪熊玄一郎氏に師事します。
そしてその師に導かれ、1942年に新制作展へ出品します。
この出品をきっかけにして、山本氏の画家としての人生が大きく変わる事になります。
ここから、その他の展覧会や作品展に出品してき、活躍の場を広げていきます。勉強熱心な山本氏は当然のようにヨーロッパなど諸外国の美術にも関心があり、1968年にはヨーロッパでも絵画を学びます。
そこで自身の作品をより高めていき、帰国後にはさらに評価を上げました。
フランスでも勲章を受章しますが、そもそもそういったものにはあまり興味がなかったらしく、章を受けとった理由が現地に行かなくても貰えたからというほど。
それほど、周りの評価に左右されることが無かった山本氏の作品は彼の絵に対する一貫した信念を感じます。
さいごに
主に薔薇とフランスの風景を描くことが多く、特に晩年の色鮮やかな作品は今でも高い評価を得ています。
そんな山本彪一の作品をご売却される際は、是非古美術八光堂に拝見させてください。
お待ちしております。