ルネ・ラリック~器に収まらぬ才能~
ルネ・ラリックについて
梅雨に入ったというのにこの日差し・・・梅雨を飛ばして夏の気配がもうそこまでやってきていますね。
“夏を愛する人は 心強き人”と四季の歌でも歌っていますが、今からこの暑さだと乗り越えられるのか・・・夏は心を強くしないと乗り越えられませんね。
しかし、そんな夏前のこの季節が一番好きだと言う人も、中にはいらっしゃるのではないでしょうか?
しとしと降り続く雨音をBGMに、時にはお洒落にシャンパン・・・なんてオトナな過ごし方もいいかもしれませんね。
そんなシャンパンの語源にもなっている、フランスはシャンパーニュ地方で生まれ育った一人の職人を、本日はご紹介させていただきます。
ジュエリー作家として表舞台へ
今から150年以上も前、1860年に生まれたルネ・ラリック。
今ではすっかりガラス作家として名を馳せていますが、元々はジュエリーのデザイナーとして活躍していました。
それまで暮らしていた小さな村で、風景をスケッチしたものを絵葉書にして売っていたこともあり、芸術家としての素質が養われていたラリック。
16歳のとき、母のすすめで宝飾職人の下に弟子入りし、18歳のときにはロンドンへと留学しました。そこでデザインというものを本格的に学び、フランスへ帰国後、早速ジュエリーデザイナーとして一流宝石店から次々と注文を受けました。
職人としての想い
その後独立し、半貴石という比較的安価な石を使った斬新な発想で宝石を作り出していきました。
その理由は、どんな人にも自分の作る宝石を手にしてもらいたいという、職人としての純粋な想いと優しさからくるものでした。
そして、父ラリックの才能をしっかりと受け継いだ娘スザンヌの協力もあり、これまでになかったモダンなデザインも次々と発表。
余談ですが、ラリック父娘は猫が大好きで、飼っていた10数匹(!)のうちの、スセット(ペロペロキャンディーの意)という名前の猫は「シャ・アスィ(座った猫の意)」「シャ・クシェ(伏せたネコの意)」という作品のモデルにもなりました。
華麗なる転身
こうしてジュエリー作家としての地位を築き上げたラリックですが、その意欲と探究心はとどまる事を知らず、もっと自分に出来ることはないか、と模索していきました。
その時に出会ったのが香水商のコティでした。彼から香水のビンに貼る為のラベルをデザインして欲しい、と頼まれたラリックは、「ビン自体も作らせてくれ」と売り込んだのです。
それをきっかけに、我々のよく知る「ラリックのガラス作品」の数々が生まれていきました。
ジュエリーデザインに情熱の全てを注ぎ込み、遂にその頂点へとたどり着いたというのに、ラリックはあっさりとその場所から離れていき、また新たな挑戦を始めたのです。
変わらぬ志
彼の中にある勇気と、いつまでも少年のような好奇心を持つハートは、これまでと変わることなくその道を明るく照らしていきました。
ガラス作家へと華麗なる転身を果たしたラリックは、ジュエリー作家時代と変わらぬ信念を持ち、できるだけ安価なクリアガラスを使った作品を発表していき、またも多くの人々に自分の作品を手にしてもらいました。
扱う素材が何であろうとも、職人としてのその志が変わることはなかったのです。
さいごに
ジュエリーであれ、ガラスであれ、作家としての自分の生き様を貫く姿勢には私たちも思わず胸が熱くなってしまいますね。
ラリックにはこのように実に色々な作品があり、あなたのお家にも実は眠っているのかもしれません。
気になるお品物がありましたら、是非一度、八光堂へとお問い合わせください!