桜花の専門画家! 織田瑟々(おだしつしつ)
変わらない桜人気
日本の桜は外国人の方にもとても有名で、「桜が咲き乱れているときの日本は地球上で最も美しい」、「日本の桜を見ないと損だ」「もう一生忘れられないほどの美しさ」と観光サイトでも絶賛され、メディアも日本の桜の風景を特集するほどなんです!もちろん日本でもその美しさは、すでにご存知の通り。観光シーズンには桜の名所は人、人、人です。笑
そして外国人観光客の中には、京都の桜はさらに美しいという方も多いんだとか。桜並木の花びらが、あまりに美しく華やかで、落ちた花びらの上を歩くことを贅沢に感じるそうです。そして皆様カメラや携帯でパシャパシャと桜を撮影されています。
私はというと撮影はしますが、才能がなくて構図がいつも同じです。桜の花びらの拡大か、桜の木全体か、咲いている山の風景か・・・笑。それでも昨年撮影したものを見直してみると綺麗だなって思います。来年はちゃんと花見して、ちゃんと撮影するが目標です!
でも桜を撮影できなかった時代には、桜を描くことに人生をかけた画家もいました。いつの時代にも熱狂的な桜ファンはいます。
織田瑟々(おだしつしつ)とは
そして今回紹介する作家は、桜花画の専門画家でもあり、あの織田信長を祖先にもつ、桜花画の大家、織田瑟々(おだしつしつ)です。織田瑟々は安永8年(1779年)に織田信長の九男である、織田信貞の末裔である津田貞秀の娘として滋賀県に生まれました。兄弟がいなかったため、10代前半で婿を迎え入れ娘を授かりますが、瑟々が16歳のときに亡くなってしまいます。
その後、当時桜花画で名を馳せた三熊派の三熊露香に師事します。この三熊露香はのちに、四条派の祖となる松村月渓(松村呉春)に師事していますが、露香の兄の三熊花顛はすでにこの頃、師である長崎の画家、大友月湖に習った竜や虎、鳳凰などは存在もせず見たこともないのに描いてもしょうがないと感じ、日本特有のもので最も描きたいと思い、最もその価値があると思うものは美しくも儚い桜だと、桜花画のみを専門に描くことを決め描くことに没頭していました。このことから、三熊花顛は日本にしか桜はないと思い込んでいたとも、一説では語り継がれています。
なお三熊花顛は名を思孝といい、初期の作品には思考の名で描かれたものもありますが、自ら名を花顛としました。この花顛という名は花に狂うという意味があり、顛の字は先端や癖、狂うことを意味します。そんな兄に習い妹の露香も桜花画に没頭します。
瑟々に習い桜花画に没頭した妹・露香
露香は現在の京都市右京区にあった鳴滝村の出身です。そうして織田瑟々は桜花画の専門画家として学び研鑽した結果、三熊露香と並び称されるほどの描き手となります。ただし露香に師事し共に研鑽したのは、およそ二年と短い期間でした。そしてこの頃には三熊花顛を祖とする桜花画専門会派を「三熊派」とし、その名をは世に知られていきます。
露香は女性らしく繊細なタッチで描く一方、織田瑟々は力強く筆圧もあり、生命力にあふれた桜を描き、その作品は後に織田桜の異名で呼ばれたほどでした。1797年に夫を亡くした、織田瑟々は名門津田家のために故郷へ戻り、10歳年上の婿を迎え入れ二度目の婚姻をします。その後に息子を授かりますが、父を1810年に亡くし、夫も1813年に亡くすと、50歳頃には剃髪し尼僧になって仏の道を歩むようになります。大切な人を失った悲しみを胸に秘め、尼僧として余生を送りながらも、桜の絵だけは生涯描き続けました。
織田瑟々と露香の生涯
織田瑟々は気品と優しさを兼ね備えた人物であったようで、生涯で70作品ほど描いたといわれていますが、そのほとんどは快く、村の人にあげていたそうです。織田瑟々を村の人々は“おひんさん”(お姫様の意味)と呼んで敬愛していたといわれています。そして織田瑟々は天保3年(1832年)に54才でこの世を去ります。三熊派では織田瑟々とは対照的に、同じ門下生であった広瀬花隠が京都から江戸に移り住み華々しい活躍をしましたが、1830年に亡くなっています。
そして三熊派の系譜は織田瑟々が亡くなったのと時を同じくして、1832年頃に途絶えてしまいます。
さいごに
桜を愛し、桜の美しさを世に広めた作家達・・・。
生涯を掛けて描き続け、その名を馳せながらも忽然と消えた会派・・・。
桜にも似た、何か不思議な力と儚さを感じませんか?
今や日本の心ともいえる桜を、200年ほど前の日本にも愛し描き続けた作家達がいたことに浪漫を感じませんか?そう私が感じるのは、桜の儚さを三熊派の運命に重ねているからかもしれません。
「桜散る」が美しい情景を思い浮かばせることは当然ながらも、戦時中の日本では戦死を桜散ると表現していたことや、現代では願いが叶わないときに使用したりと、単に美しいイメージを思い浮かべる言葉ではなく、隠喩である場合もあり、そこもまた日本人ならではの桜に対する個々のイメージがあるのかもしれません。だからこそ、外国の方は美しい姿がストレートに眼に映るのではないでしょうか?日本人にとっては何故か不思議と、その美しさゆえに恐怖を感じる方もおられるそうで・・・笑
見る人にとってもまた感じ方が違うのが桜。織田瑟々の桜は力強く春を祝うような桜です。
ところで私にとっての桜はというと・・・とにもかくにもやっぱり花見酒!
織田瑟々が描いたような逞しい桜の木下で、来年こそは花見で宴会といきたいところです!笑
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