KPMの魅力~美を追い求めて~
白い黄金を求めて
ベルリン王立磁器製陶所とはプロセイン王国のフリードリヒ二世によって創設された王室御用達磁器窯です。
フリードリヒ二世は「白い黄金」と呼ばれた中国や日本で作られた白磁器の熱狂的な愛好家でもありました。
17世紀頃、当時ヨーロッパでは白磁の製造や、絵付けの技術などが未発達だったこともあり、日本の伊万里や柿右衛門の磁器が絶大な人気を生み出していました。
中には日本磁器に熱中するあまり、日本の磁器だけを所蔵する宮殿を建てる程でした。こういったたくさんの貴族たちを魅了していた白磁器は「白い黄金」と呼ばれるようになりました。
KPMの誕生
フリードリヒ二世は白い黄金を求めて、財政状況が悪かったヨハン・エルンスト・ゴッツコフスキーの工場を買収し、自ら工場を立ち上げることにしました。
ゴッツコフスキーの工場は優れた職人や絵付け師が多く、さまざまなノウハウが集結されていたため、当時はトップクラスの工場でしたが、その反面、高給で人員を集めたため財政状況が悪く、給与の支払いが遅れることもあったようです。
そこに目を付けたフリードリヒ二世は、当時の従業員はそのままで引継ぎ、新たに「ベルリン王立磁器製陶所」を設立しました。工場では当時多かった子供の労働を禁じ、従業員の労働環境や給与の面でも見直しと改善が行われました。また独自の健康保険や年金など福利厚生も充実していました。ここからKPMは誕生したのです。
美への追求
KPM工場の誕生とともに、今までの労働体制の見直しや福利厚生の充実などを一新し、職人の技量や生産工程が大きく飛躍しました。ただ技量の向上だけではなく、様々な技術開発が行われ、新たな釉薬や難しい表現の色合いが開発されました。特に1814年には今まで表現できなかった、濃淡のある色味や新たな色が開発され、それまで困難とされていた油彩の表現が陶器の絵付けでも可能になっていきます。
当初は宗教画の陶板画が多かったのですが、次第に貴族だけではなく、一般にも流通していったため、美人画などの作品が多くなっていきました。そして、世界一の陶板画として名を馳せるようになります。そこにはフリードリヒ二世の並々ならぬ情熱と美への追求がありました。
魅了する陶板画
そもそも陶板画とは、陶器に絵付けを施して焼き付けを行うため、焼成後の色の変化を計算して焼かなければなりません。さらに、色によって焼成温度が違うため、全体で十数回以上は焼成を繰り返さなければいけません。
そのため、細かな温度調節や色の変化を一つ一つ見極めなければならず、少しでも温度や色合いを読み違えると、全てが台無しになってしまいます。
また、焼成の具合で絵付けが歪む事もあり、完成に至るまではごく僅かです。
こうして完成したKPMの陶板画は、まるでそこに在るかのような錯覚を覚える程、柔らかく、美しいです。
そこにはフリードリヒ二世自らが職人に指示を出し、自身が納得するまで試行錯誤を繰り返し、自身の美を追求した証であると言えるでしょう。
また、あの魅入ってしまうような作品に出会いたいものですね♪
さいごに
もしKPMの作品をお持ちで、ご売却をお考えであれば、是非、古美術八光堂までご連絡をお待ちしております。