中村宗哲 ~400年変わらぬ「型」・時代の「好み」から生み出される漆芸~
千家十職とは
以前のブログでも紹介させていただきましたが、お茶道具を作る専門の職人たちのことをまとめた呼称です。
その職人たちの中で、塗り製品、主に棗や香合の制作を手掛けていた家系が中村家です。
“中村宗哲”という名前は、代々受け継がれている当主の名前で、10代・12代・13代(当代)は女性の方なのです。
中村家の歴史
■初代 中村宗哲は、千家の親戚でもありました。
千家塗師として利休居士(りきゅうこじ:三千家の家元の祖)の好まれた諸道具を「利休形」として原型を制作しました。
■3代目は、幼少期に父母と死別してしまいましたが、表千家の覚々斎(6代)や如心斎(7代)、裏千家の又玄斎(8代)などと共に茶事に参加するなど、三千家との深い関わりを持ちました。
また3代目は、初代の残した「利休型」をはじめとして、棗の標準型を明白化しました。
さらに、昔形・盛阿弥形・織部・小庵・覚々斎・如心斎・不白たちの好みの棗を制作し、「利休型12器」「如心斎判32器」と制作しました。
これらの寸法や型は中村家の家宝として現在でも大切に守られています。
作風は、重厚にして堅緻、雅味豊かです。
■7代目は、その歴代にあって最も優れた技量を発揮した名工と称されています。
作風は、緻密で清らかな利休の塗師であった記三あたりの作品に酷似しているといわれるほど。
またこの時代から、棗やその他に美麗な蒔絵ものが多く好まれる傾向が強くなりました。
さらに、玄々斎のお取り立てにて尾州徳川家から得玄の称号を戴き、御用品を制作しました。
■10代目は、9代目の奥様です。
次男が家業を継ぐための修業を終え、継ぐまでの間「尼塗り」として家業を営みました。
■12代目は、初めて正式に中村宗哲を引き継いだ女性です。また千家十職のなかでも初めての女性当主です。
作風は、鵬雲斎(裏千家)好みの桐文台子や・花鳥風月の棗、而妙斎(表千家)好みの秋草の棗・三花炉縁など、女性ならではの繊細さと優美さがあります。
■当代13代目、12代目の次女で、2006年に中村宗哲の名を受け継ぎました。
作風は、12代目のお母様のように、女性らしい優雅さと品が溢れる作品が多いです。
現在では世界から日本の技術に再度注目されているため、漆器の世界も今後ますますの期待が寄せられています。
さいごに