向井潤吉~民家の画家~
向井潤吉と古民家
今では“古”民家と呼ばれる家も1901年生まれの向井潤吉が絵にした頃は少し田舎に行けばどこにでもある風景で、さらに子供の頃には日常の中にあったものでしょう。
なぜ民家のある風景に魅せられたのか、きっかけは第二次世界大戦にあったそうです。
戦時中に「民家図集」という民家の図録を目にした向井は、民家や山里の自然な美しさに魅了されました。
また戦災で家が焼けた、貴重な建物が被害を受けたという状況を見聞きしていたのもあるでしょう。普通の暮らしの尊さを民家のある風景に見出したのかもしれません。
戦火による被害、そして戦災からの復興や高度経済成長期の影響でめざましく変化する暮らしの形。田舎から都会へ移り住む人も多くなり、生活の場・様式の変化から伝統的な民家はどんどん姿を消してゆきました。
彼が描いた絵の中の風景で、今はもう面影も無いような場所もあるでしょう。自然の中で生活してきた日本人の原風景ともいえる民家の姿を描き残した向井潤吉。失われてゆく暮らしの形、風景への危機感も画家の原動力となったのかもしれません。
戦後に長女の疎開先であった新潟県の川口村での製作をはじめ、北は北海道から南は鹿児島県まで、日本全国・各地の民家を訪ね歩き生涯に渡り製作を続けました。
古民家への情熱
向井潤吉の民家の絵の中には人物はあまり登場しません。民家とその周囲の風景だけの絵が多いのですが、それでもその土地に住む人々の暮らしやぬくもりなど「人が暮らしている」様子が伝わってきます。
向井は写実を重んじ現地で描ききる事を大切にしていたため、スケッチを描いて帰ってアトリエで制作する方法は好みませんでした。
その土地の空気ごと閉じ込めたような向井作品のリアリティは、風景とそこに生きる人を肌で感じていたから成しえたのかもしれません。
さいごに