色と空間の魔術師・歌川広重
広重の生い立ち
歌川広重、本名・安藤重右衛門は寛政9年(1797年)江戸に生まれました。
父は火消屋敷の同心、祖父は大名お抱えのお医者さんであったため、なに不自由のない家庭
で育ちましたが、重右衛門が13歳の頃に母が病死、その年の暮れに父も他界してしまいます。13歳の若さにして世間の荒波へ門出することになった重右衛門がのちの「歌川広重」その人です。
その後、浮世絵師の歌川豊広に師事し、文政元年(1818年)より作品発表を始めます。
代表作は『東海道五十三次』、『近江八景』、『名所江戸百景』などがあり、主に風景画を得意とし、安政5年(1858年)に没します。
ここでは広重作品の持つ魅力を、大きく「色使い」「構図」「情景描写」の3つにまとめて紹介してみます。
広重の魅力 その1 色使い
広重の最大の特徴とも言える鮮やかで美しい藍色(ベロ藍・プルシアンブルー)。俗にヒロシゲブルーとも呼ばれていますね。広重はこのブルーをはじめとした色使いが非常に巧みです。
たとえば『東海道五十三次』の「箱根」。
遠くまで連なるブルーやグレーの山々と、手前に大きくそびえるカラフルな二子山。この鮮やかな対比の美しさは見事です。
また、「蒲原」の雪景色。
シンとした静けさを感じるモノクロームの世界を、鮮やかに息づき足音を立てながら行く人々の姿などは目を見張るほど美しいですね。
広重の魅力 その2 構図
広重は構図の取り方がとても大胆です。
『名所江戸百景』の「亀戸梅屋舗」は、浮世絵に影響を受けた西洋画家の一人・ゴッホが模写したことでも有名です。
手前に梅の木が大きくのびのびと描かれ、その枝の向こう、遠方に小さく梅を見に訪れた人々が描写されています。
「四ツ谷内藤新宿」は、画面右側に大きく馬の後姿(つまりはお尻。なんと馬糞までしっかり!)が描かれています。
広重作品の中でも特に思い切った構図だと思います。
「浅草田甫酉の町詣」は上記のような迫力はありませんが、代わりに何ともいえない風情があります。
描かれているのは遊女屋の一室です。部屋の窓から見える遠景の富士山と、飛んでゆく鳥の群れ。雑に置かれた手ぬぐいやかんざしなどから、この部屋主の人物像が浮かび上がってきそうです。しかし、実際に描かれているのは白い猫のみ。ですが、たった今まで部屋にいた人物の体温すら漂ってきますね。
広重の魅力 その3 情景描写
広重の作品全てに言えることは、そこに当時の人々の「生活」を描いているということ。
「浮世絵」自体、そもそも風俗画の一種なのでそれも当然と言えば当然のことでしょう。
ですが広重の作品からは、何気ない日常の一コマを切り取ろうという執念と言ってもいいくらいの情熱が感じられます。
描かれた人や木や風が今にも動き出しそうな、そんな臨場感、リアリティがあるのです。そのリアリティがあるからこそ、生活スタイルが全く違う現代にまでその魅力が伝わっているのではないでしょうか。まさに広重は、色や構図を巧みに使い、情景を細やかに伝える魔術師とも言えるでしょう。
さいごに
当時、どのような気持ちで広重が浮世絵を制作していたのかは分かりませんが、
どの作品からも、あの時代に生きた名もなき人々と、人々が住んだ土地への郷愁や愛着といった思いを汲み取れるような気がします。
広重が残した作品は国内のみならず海外での評価も高いです。
国や時代を超えて愛される絵師の真髄を、私もより深く理解したいものです。