高塚省吾~極め、辿り着く場所~
“美しさ”とは…?
さて、「芸術」「美術」という言葉からは切っても切れないものとは何でしょうか?
今あなたの頭の中には何が浮かびましたか?
美しい景色、渦巻く様々な感情、有形、無形、エトセトラエトセトラ・・・。
思い浮かんだ全てがどれも誰かにとっての芸術であり、美術だと思います。
その中でも「究極」と言えるものに近いもの、それは我々・ヒトの生まれたままの姿、つまり「裸」ではないかと、私は思いますがいかがでしょうか?
特に、ヒトを産む事ができる「女性」。その裸の姿というものは、芸術・美術の頂点と言っても過言ではありません。
そんな「女性の裸」、つまり「裸婦」の原点ともいえる作家・高塚省吾についてお話ししたいと思います。
挫折からのスタート
新たな境地
禅の修業によって自らを高め、そして自身の作風を見つめ直した事で、描く作品の内容も変化していきました。
そして辿り着いたのが、「裸婦」だったのです。
極限まで自分を追い込んだ末に生まれた作品たち――。
力強く命を吹き込まれ、けれど繊細さも持ち合わせたその作品たちは多くの人々の心を打ちました。
輝ける場所
そして、いつしか世間に認められ、「裸婦といえば高塚省吾」と言わしめるほど地位を確立したのです。
カレンダーやポスターにもなった彼の作品は、裸の女性なのにいやらしさを感じさせないもので、不思議な魅力を放っていました。
特徴としては、海外作家がよく描く「ふっくらとした丸みのある女性の体」ではなく、「スタイリッシュでボーイッシュな女性」を好んで描いたことです。
高塚省吾が亡くなってからも、その作風の影響力は残り続け、今も日々生まれ続ける新たな作家たちのパイオニアとして、「辿り着く場所」で待っているのです。
さいごに