【広島店:中国骨董買取】中国山水画
日焼けが恋しい八光堂広島店鑑定士の倉本です。
サバゲーとダイビングで真っ黒に日焼けしていた肌ももう真っ白…。
寒くなる前はHAZARDというサバゲーフィールドで集まったりしていたのですが、暖かくもなってきたのでまたみんなとワイワイやりたいです!
山口県は岩国から在日米軍の方達が遊びにきたりするのですが、すごい陽気で体力もあって強いので周りもつられて盛り上がります。
以前友人たちとPAYDAYというゲームのコスプレで、スーツを着てサバゲー参戦してきたりもしました!
もっと語りたいのですが、これ以上趣味の話をすると記事がそっちにのっとられるので、このあたりにしておきます。
山水画のはじまり
中国での山水画は非常にメジャーなジャンルであり、日本人でも中国画のイメージは山水画という方も多いことでしょう。しかし、最初からこのような絵画が描かれていたわけではありません。
ルネサンス期のヨーロッパと同じように、中国でも絵は身分の高い者が嗜むものであるという考えが深く根付いていました。
そしてどちらの文明にも言えることですが、身分の高い人々が好むのは、人物画や宗教画。あるいは神話の1コマであり、歴史上の事件を題材にしたものが優れているとされていました。反面、静物画や風景画は劣るとされ、ヨーロッパでは長く敬遠されてきました。
4世紀、南北朝時代にはすでに山水画が書かれていたようですが、絵画として広く認められ始めたのはそれより後のことでした。
8世紀に呉道士「山水の変」と呼ばれる改革を行ってから、描写技術が進みひとつのジャンルとして確立されていきました。それから十数世紀もの間にも技術は伝えられ、様々な巨匠たちによって多くの作品が生み出されていくのですが、そのお話は作家紹介のときまでとっておきましょう。
文人と山水画
山水画というのは文字通り、山と水の流れを描いたものです。実際の景色を元にしたものもありますが、様々な型としての景色を組み合わせた独自の景色が多く描かれています。
山水画を好んだのは、多くは文人士大夫(ぶんじんしたいふ)と呼ばれる超絶エリートでした。彼らは官僚として中国を取り仕切るとともに、中国文化の中心といっても過言ではない人たちでした。
その流行の発信源たる文人が山水画をこよなく愛したそうです。文人にとっての山水画は単なる風景画ではなく、世間から離れた理想郷を表したものであり。同時に山や川を通して表現された中国人の人生観そのものであるともいえます。
古い絵画を見て当時の人々のことを考えるのも絵画の楽しみ方としては間違ってないかと思います。この記事で少しでも興味を持っていただければ幸いです。
さいごに